2013年08月25日

butやsoを文頭で使うのは誤り?

 以前、中学生向けの英文を作成してネイティブチェックをかけたとき、ネイティブが赤字を入れてきました。そのネイティブいわく、接続詞のbutやsoを文頭で使うのはおかしいというのです。

会話文では But …と言って、その人のセリフが始まることもあるのですが、説明文やエッセイなどではいけないのだろうか、と少し動揺しました。

 私自身あまり意識したことがなかったので、もしや盲点をつかれたかもしれないと、教科書や問題集、洋書などの英文を調べてみました。

中学の教科書では、But…と、ふつうに文頭で使っています。英検の過去問題の長文でも文頭をButで始める文があります。洋書の文法書や日本の文法書にもそれらしき指摘はありません。

 唯一英和辞書(ジーニアス英和辞典)に「文頭に用いるのは間違いではないが避けた方がよいとされる」とあります。微妙な表現ですが、間違いだとは断言していません。

 書籍の英文の制作過程では、何人かのネイティブのチェックが入ります。辞書もしかりです。教科書のほうが間違っているのかと思い、ほかのネイティブにも意見を聞いてみました。

 すると、ほかのネイティブは、But で始まっていても別に問題はないだろうと言います。

 結局、検定済みの教科書や英検の問題集を修正するわけにはいきませんし、そのままButを文頭において問題を作成したのです。
posted by 佐藤 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ネイティブチェックのメリット

 当然ながら、問題を作成するときは完璧を目指して英文を書きます。

 できればネイティブチェックなど要らないくらいにかっこいい英文を書きたいと思っていますが、どうしても調べ切れずに確信の持てない場合は、あとはネイティブが見るのだから彼らに任せようと甘えが入ります。

 もちろん、単純なスペルミスをすることもありますし、私の勉強不足のところもあります。

 たとえば、こんなことがありました。

The world population has been growing,
so in the future more food will be needed for us to live.

 → more food will become necessary.

 → more food will be needed


 上の2行にまたがる英文を、ネイティブが下線を引いて、その部分はこう書き直したほうがいいと指摘してきました。

 ネイティブが修正したものが、矢印で示した2つの文です。

 私が書いた文章は「世界の人口が増え続けているので、将来は私たちが生活するのにもっと多くの食料が必要になるでしょう」という意味です。

 「私たちが」というのは、「私たち人類が」という「漠然と人が」という意味で使っています。

 ところがネイティブは、for us を「私と私の知り合い」が生きていくためにというニュアンスで受け取り、for us を省いてきたのです。

 後日辞書で調べてみると、we には「一般の人」を指す使い方がありますが、us にはその使い方が載っていませんでした。

 私はこのときまで、we と us は同じような文脈で使えると思っていました。

 そのネイティブは親切な人で、さらにいくつかの候補をあげてくれました。いずれも文章の意味は同じです。

 →“The world’s population has been growing,
 so in the future in order to live, more food will be needed.”

→“The world’s population is growing such that,
 in the future we will need more food in order to live.”

→“The world’s population is growing such that,
 in the future we will need more food to live.”

→“The world’s population is growing such that,
 we will need more food to live.”

→“The world’s population is growing so much that more food will become necessary to survive.”


 ここまで丁寧にやってくれるネイティブはなかなかいませんが、伝える方法は1つではないという日本語では当たり前のことを再認識できるのが、ネイティブチェックのメリットです。
posted by 佐藤 at 10:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「受動態」はとても不自然な英語?

 教科書にも載っているし、文法としては正しいのですが、「ふつうはこんなふうには言わない」とネイティブによく指摘される文があります。

 その典型が、「受動態」です。みなさんが中学生のころ、次のような文を習ったのを覚えているでしょうか。

 The computer is used by me.

 (そのコンピュータは私によって使われます)


 「受動態」は<be動詞+動詞の過去分詞形+ by …>の形で、「…によって〜される」という受け身の意味を表すと習います。

 通常、主語が主体になって「〜する」という能動の意味を表すものが能動態で、多くの場合、

 <主語+動詞( be 動詞、または一般動詞)+〜(目的語)>の形をとります。

 日本語訳を見ただけでも、「まどろっこしい言い方をしなくても『私はそのコンピュータを使います』でいいのでは?」と思った方も多いのではないかと思います。

 どうやらそう感じるのは日本人だけではないようで、この文を単独でネイティブに見せると不自然だと言って訂正が入ります。

 I   use   the computer.
 S   V      O
 「私はそのコンピュータを使います」


 この能動態の文の目的語 the computer を主語にして、動詞を<be 動詞+動詞の過去分詞形>にし、もとの文の主語を by 〜にして後ろにつけて受動態にしたのが、最初に挙げた文です。

 私は学生時代や、この仕事を始めたころは、能動態の文の目的語を主語にし、動詞を<be 動詞+動詞の過去分詞形>にすれば、自動的に受動態の文になると思っていました。

 私と同じぐらいの年代の人はおそらく機械的に能動態の文を受動態の文に書き換える練習をしたことでしょう。

 その昔、中学用のテキストをつくっていたとき、受動態を習うレッスンで上記の英文にネイティブの赤が入りました。

 とくに<by +動作主>の箇所を指摘してきます。わざわざ受動態にしないで、能動態のまま I use the computer. を使うと言って直してきたのです。

 ここでは受動態を習うレッスンなのだから、その受動態を修正したら意味がなくなってしまいます。

 けれどもそんな事情はネイティブには通じません。そのネイティブの指摘によると、文法的には正しいが不自然だというのです。

 ネイティブが言うには、あるいは文法書などにも載っていますが、能動態ではなく、あえて受動態を使う場合には、「自分以外の他のものから〜される」という“第三者から被害を被る感覚”がある場合に使っているそうです。

 例えば、次のような場合です。

 I was injured by a drunken driver.

 「酔っ払いのドライバーにけがさせられた」

 I was bitten by a mosquito.

 「蚊に食われた」


 「酔っ払いのドライバー」や「蚊」という自分以外のものから「〜される」ときに受け身を使うので、「自分によって」被害を受けるという by me は不自然に聞こえるのだと思います。

 ただし、by me を使っても不自然ではないケースもあります。それは次のような場合です。

 I bought two computers. The silver one is used by Tom and the black one is used by me.

 これがなぜ不自然ではないかというと、コンピュータを2台購入して、そのコンピュータが話題の中心だからです。

 2台のうちの1つのシルバーコンピュータはトムに、そして黒のコンピュータは私に使われるとなり、話の流れからコンピュータを主語にして受け身の形が自然な流れなのです。

 あるいは、

 That computer is used by me.

 と The を That にするなら受動態で OK、by me が入ってもいいそうです。


 文脈や会話の流れにもよりますが、言外に「このコンピュータではなく、あのコンピュータ」という意味を含ませると、主語がメインの話題になって受動態にする意味があるというのです。

 しいて日本語で訳すなら「私によって使われているのは(このコンピュータではなく)あのコンピュータです」となります。

 つまり、That is the computer I use, not this one. ということです。

 また、

 Soccer is played by people in many countries.

 などと書くと、Who else would be playing soccer? Dogs and cats? と逆に尋ねられてしまいました。

ところが、Soccer is played by people of all ages and abilities.

 にすると OK になります。

 自明のことは言わないのが自然で、人は人でも「あらゆる年齢、能力の」人たちだと、若者や運動神経のいい人たちだけでなく、「やりたい人はだれでも」という情報を言いたいわけですから、by people of all ages and abilities は必要になります。

 当たり前と言えば当たり前のことですが、「能動態の文の目的語を主語にして、動詞を<be 動詞+動詞の過去分詞形>にし、元の文の主語を by 〜にして後ろにつければ受動態の文になる」で終りにしてしまうと、なかなか見えてこない事実です。
posted by 佐藤 at 09:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ネイティブチェックでよく引っかかる第4文型

 このように、たとえ文法的には正しくても、ネイティブから見たら不自然な英文をときどき見かけます。

 ここでもうひとつ、不自然な英文としてやはりこちらも受動態ですが、例を挙げてみたいと思います。

 ネイティブチェックに必ず引っかかってくるのが、give、show、teach、tellなどを使った S+V+O+O の文を受動態の文に書き換えるときです。

 以下のような指示文をもとに受動態の文に書き換える問題は、私が中学生のころにはごくふつうに問題集で扱っていました。

 Tom showed me some pictures.

 (Iを主語にして)

 → I was shown some pictures by Tom.

 (some picturesを主語にして)

 → Some pictures were shown me by Tom.

 上の文のように目的語が2つある場合、どちらが主語に来てもよく、2通りの受動態の文がつくられると教えられた記憶があります。

 当時の問題集でも、主語をIにした場合の受動態の文と、主語を some pictures にした場合の受動態の文は上のようになると教えられました。

 ところがネイティブチェックにかけると、この2つはどちらも文法的には正しいが不自然だとチェックされます。

 そこで by Tom を削除してもう一度聞いてみました。受動態のメリットの1つに、動詞の動作主が重要でないときに受動態にするからです。

 → I was shown some pictures.       (1)

 → Some pictures were shown me.      (2)

 こうすると、(1)の文は OK で、(2)の文は

 Some pictures were shown to me.

 と me を to me にすると OK になります。

 では、by Tom の入った文は絶対に使わないかというと、そうではないと言って、そのネイティブはある例文を示してくれました。

 There were a whole bunch of pictures taken of the volcano when it erupted last year that were shown to me by Tom.

 「去年火山が噴火したときに撮った写真が数多くあり、私はトムに見せてもらいました」

 そのネイティブが言うには、長い文でよく受動態が使われているということです。

 つまり、まず a whole bunch of pictures があり、それは昨年噴火した火山の pictures で、そのpicturesが...と流れているので、トムによって私に見せられたと、pictures の側から話が展開されています。

 この文全体の話題の中心は pictures なのですが、Tom が私に見せてくれたということも言いたい場合、受け身にして by Tom を最後に添える形になります。

 どのような場合に受動態にするのか、またどのような場合は受動態にすると不自然なのか、

 I was shown some pictures by Tom.

 や、

 Some pictures were shown me by Tom.

 は、ネイティブには不自然に聞こえているのだと、私も仕事を通して知りました。

 このことを知ったみなさんは、これから英語を読んだり聞いたりして、どういうときに受動態で表現され、どういうときに能動態を使っているのか気にかけてみてください。

 漫然とやり過ごすより早く受動態の感覚が身につくことと思います。そして、その感覚を生かして、ネイティブっぽい英語を話したり書いたりしてみましょう。
posted by 佐藤 at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本語を元にして英文を作成することの限界

 私は仕事として日常的に英文を書きます。

 資料もなしに思いついたことを書くときもあるし、資料や辞書を使いながら書くときもあります。

 ところが日本語と英語は別の言葉なので、初めに日本語ありきで英語を作ろうとすると、やはりネイティブチェックに引っかかることが多くなります。

 「日本チームはWBCの決勝戦を戦った」という内容の英語を書くとどうなると思いますか?「戦う」をそのまま fight を使って、

 The Japanese team fought the final game of World Baseball Classic.

 とされた方も多いのではないでしょうか。これをネイティブチェックにかけると

 The Japanese team played the final game of World Baseball Classic.

 という英語が返ってきました。 

 確かに日本語だとふつうに「戦う」とう言葉を使いますが、英語の fight には、「戦争や戦闘で敵と戦う」、あるいは「肉体を使って戦う」という格闘技のイメージがあります。

 試合やスポーツは「戦う」というよりは、「遊ぶ」(play)とイメージしているのでしょうか。

 「戦う」という語が使われる日本語の文脈と、fight という単語が使われる英語の文脈は、同じような場合もありますが、違うこともあるのです。

 意味の近い「戦う」という日本語を fight の意味としてあてがっているだけです。

 「試合」→ the game、「戦う」→ fight のように日本語を逐一英語に訳して、英語を書いたり言ったりするのではなく、英語を英語のまま捉えることを心がけたいものです。

 それには play the (final) game が使われている文をたくさん読んだり、聞いたりして、どんな時にどんな状況でその表現が使われているのか感じ取ることが必要になります。

 また以前翻訳の仕事で、子どもが2人いる女性のことを英語に翻訳したことがありました。

 「子どもたちは、長男7歳、長女5歳になっていました」

 という文を、

 My eldest son was 7 years old and my eldest daughter was five, respectively.

 と直訳したところ、

 This last sentence is strange. She has only 2 children, right? Why say “eldest son” and “eldest daughter”?

 というコメントが付いてきました。

 日本だと息子と娘がそれぞれ1人ずついても、その子どもたちは「長男」、「長女」と呼ばれますが、英語では、息子や娘がそれぞれ何人かいたときに初めて序列が生まれ、eldest という言葉も使われます。

 結局、eldest をとって、

 My son was 7 years old and my daughter was five, respectively.

 としました。日本語をもとにして訳しながら英語を書いていくと問題が生じる例でした。
posted by 佐藤 at 09:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

わかりづらい英語の時制

 「時制」とは、基本的には出来事の順番を表すものです。私たちもよく知っている代表的なものに現在形や過去形、現在進行形、現在完了形、未来形などがあります。

 この時制の知識を、学校では主に長文読解問題の英文(物語文など)を読むときや、あるいは以下にあげた文法問題などで使っていました。

 I (meet) him at the station yesterday.

 meet を適当な形に変えなさいという問題です。yesterday と過去のことを表しているので、meet やwill meet ではなく過去形の met が答えだとわかります。ドリルですから正しい時制が答えとして1つだけ決まります。

 ところがいくつかの動作や状況が組み合わされている文章の場合はネイティブの間でも意見が分かれ、少々ややこしい状況が発生することがあります。

 たとえば、以下のような文章の場合です。

 I got to the fast food restaurant at five. I went up to the second floor, where there was a counter and ordered a cup of coffee.

「5時にファーストフード店に着きました。カウンターがある2階に上がり、コーヒーを注文しました」

 以前、私はファーストフード店で毎週1回ネイティブの先生からプライベートレッスンを受けていました。そのとき家で日記を書いて、毎授業先生に添削してもらっていました。

 上の英文は先生と5時に待ち合わせをして授業を受けたときの話を一部抜粋したものです。

 後日、そのお店で先生から添削して返してもらいました。私にとっては過去の出来事なのですべて過去形で表したのですが、下線部の was を where there is a counter と is に直されました。

 ここで時制を中心にこの文を見てみましょう。私が日記を書いている時が現在です。日記の中の出来事は過去です。

 カウンターは、確かに5時に行ったときにだけ存在していたわけではなく、5時前も存在し、1週間前も存在し、次の日も存在し続け、私が先生から日記を返してもらうときも存在し、おそらく1週間後も存在しますから現在時制なのです。

 そのネイティブがこの英文を読んでいるまさにその時でも、カウンターは変わらず2階にあり続けています。

 ところが別のネイティブに、日記ということを知らせず英文だけを見てもらいました。すると is も適切だが was も自然な感じに聞こえ、おかしくないと言います。

 なぜ、このような違いが生じるのかというと、こちらのネイティブはこの文は過去の出来事としてとらえて読んでいるからです。

 ちょうど小説を読んでいるときのように、話全体を過去としてとらえています。同じ記述ですが、過去の出来事ととらえるのか、現在との関係も考慮するのかで時制も変わってきます。

 その状況の取り方次第で、ネイティブでも意見が分かれます。

 ですから、時制を杓子定規的に考えるのではなく、いろいろな状況の英語を読んだり聞いたりし、また自分でも使うことで、感覚的に身につけるものだと思います。

 ちなみにそのネイティブは、自分にとって”got”はguttural「耳障りな」だといって、

 I got to the fast food restaurant …

 → I arrived at the fast food restaurant …

 にしてはどうかとコメントしてきました。

 その人にとっては get を多用するのは uneducated な感じがするということです。
posted by 佐藤 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

aかtheかはその人次第?

 さらに面倒な状況になったのが、次の英文です。

 Recently I can’t spare time for studying English.

 「最近、私は英語の勉強に時間を割けない」

 この英文をネイティブに見せたところ、ネイティブからtimeにはtheがついて、Recently I can’t spare the time for studying English.になるのだと修正が入りました。

 timeは「時間」という意味では不可算名詞で、冠詞はつかないというイメージが私にあったのかもしれません。

 指摘されれば、時間は時間でも「英語を勉強するための時間」と限定できますから、なるほど、確かにtheは必要なのだなと納得できました。

 ところが問題はここからです。

 別のネイティブに、theをつけないままの英文とtheをつけた英文を両方見てもらおうとしたのですが、その際にうっかり文頭のRecentlyをつけずに見せてしまいました。

 I can't spare time for studying English.      (1)

 I can't spare the time for studying English.      (2)

 すると彼から興味深いコメントが返ってきました。

 彼は「英語を勉強する時間」というのがあって、それがいつのことなのか、「最近、英語を勉強する時間」なのか、「週末に英語を勉強する時間」なのか、それともいつとは限定せず「漠然と英語を勉強する時間」なのかで、the がつかないこともあると言うのです。

 たとえば(2)の文頭にOn weekends「週末」をつけて、

 On weekends, I just can't spare the time for studying English.

 「週末は(ほかに優先するものがあって)英語の勉強に時間が割けない」

 などという場合は、「週末の英語を勉強する時間」という特定の時間の話をしているので、theが付くと言います。

 一方、(1)の文は

 I can never seem to find any time for studying English.

 「私は英語を勉強する時間が取れないようだ」

 と書き換えることもでき、特定の時間帯の「英語を勉強する時間」ではなく、「(漠然と)私は英語を勉強する時間を見出すことができないようだ」というニュアンスがあるので、theがつかなくてもかまわないと言ってきました。

 このように何を伝えるかによって、theやanを使い分けます。4択の問題で答えを一つ選ぶことに慣れていると、言いたいことに応じて柔軟に対応できなくなります。

 もちろん、文脈しだいでは別のニュアンスも出るのでしょうが、もはやネイティブではない私には推測しようがありません。

 冠詞は面倒くさい……と認識を新たにした出来事でした。

 ほかにもたとえば、「機能」という意味を表すfunctionを使って英文を作成したときに、私は「機能」は「もの」ではないし、目で見えるものでもないので不可算名詞だろうと勝手に思い込んで冠詞をつけず、

 My telephone with fax function was broken.

 「ファックス機能の付いた電話が故障しました」

 というように書きました。これをネイティブに確認したところ、functionは可算名詞だと指摘され、下線部分をa fax functionとaをつけるよう修正されました。

 指摘されてみれば、日本語でも「この電話には、たくさんの機能が付いている」と数えられることを前提に言うことも多いので、aが付くのもうなずけると納得しました。

 また、TVは1台、2台と数えられる名詞なのですが、学生時代に習ったwatch TVが頭に焼きついていたため、TVには冠詞がつかないと思い込んでいたことがありました。それで、

 When I work at home, TV is kept on.

 「家で仕事をするとき、テレビをつけっぱなしにしておきます」

 という英文を作成したところ、ネイティブから、TVはthe TVとするようthe をつけて戻ってきたことがあります。

 テレビをつけるとか消すとか言う場合は、TV setという機械をつけるとか消すとか考えるので、1台2台と数える可算名詞となります。

 この文脈では、たくさんあるうちのどれでもいいどれか1台のテレビではなく、自分の家のテレビのことだと限定できるのでthe が付きます。

 watch TVのTVの場合は、テレビという機械そのものではなく、「テレビ放送」を指すために不可算名詞になります。
posted by 佐藤 at 09:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どういう構文を使って、どの順番で書くのか?

 やはり翻訳の仕事で、以下のような文を英語に訳したことがあります。

「その子どもは、彼女に抱きかかえながらも、両手をいっぱいに広げて、私に抱っこを求めてきました」

 「その子どもは私に抱っこを求めてきました」をメインの文にして、「彼女に抱きかかえながらも」と「両手をいっぱいに広げて」を修飾句としてとらえて、

The child, who was held in her arms, asked me to hold him in my arms with his hands spread out.

 という文を作りました。すると、この英文に対して、This is an awkward sentence. というコメントとともに、

 While she was holding my son, he stretched out his arms, wanting to come to me.

 ではどうかと代案が示されてきました。

 この代案のような文を、誰かが言っているのを聞いたことがあったり、本で読んだことでもあれば、あるいは自分で言ったことでもあれば、作れたかもしれません。

 文法書や辞書を調べても載っていない、また日本語から英語を書こうとしたときにたどり着きづらい文です。
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世界の共通語としての英語

 以前、会話文で夜更かしする女の子に、「眠らないとからだをこわすよ」という意味の英文を書いたことがあります。日本語ではふつうに言われている表現です。

 Sleep now or you might damage your health.

 上のように書いてネイティブに見てもらったところ、「すぐ寝なさい」のあとに、「からだをこわすよ」と続けて言うのは日本語特有の表現だと指摘されました。英語ではこのように言わないということで、

 It’s not healthy to fight sleep.

 「眠いのを我慢するのは健康によくないよ」

 というように書き換えてきました。

 言いたいことは、私が書いた文章もネイティブが直してきた文章も同じようなものなのですが、日本語が初めにありきで英語に訳していくと、このような不都合なことが生じます。

 ただここで、これは本当に修正すべきだろうかと考えてしまいました。

 昨今は「英語は世界の共通語」だと言われています。言葉としては英語のひとり勝ちで、世界の人々が英語を学び、英語でコミュニケーションをとりましょうという流れになっています。

 ところが語学にかかる時間は膨大で、英語を母国語とする人たちはその分の時間をほかのことに割けるので有利だという意見があります。

 世界の共通語となれば、いろいろな人が英語を話します。語学が得意な人もいればそうでない人もいます。

 ただでさえ英語を習得するのに時間がかかるのに、また、英語だけに時間を割けるわけではないのに、英語の表現に合わせることはほとんど不可能です。

 このような表現や文化背景は、それぞれ英語を使う人が持ち寄っていいのではないでしょうか。つまり、英語の側でそれを許容してもらうことにしてはどうでしょうか。

 英語は今、Englishes と複数形で言われています。

 これは、英語はもはやアメリカ英語やイギリス英語のみを指しているのではなく、シンガポール英語やインド英語、オーストラリア英語など、英語を母国語、もしくは共通語とする国ごとにさまざまな英語が存在することを指しています。

 そして将\来的には、イギリス英語やアメリカ英語も数ある英語の中の1つという位置づけになるかもしれないと言われています。

 そのとき Sleep now or you might damage your health. は日本人としてふつうに使っていいと私は思います。ちょっと独断と偏見が過ぎるでしょうか。
posted by 佐藤 at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

たかだか –(e)s 、されど-(e)s

 講師として受講生に英語を教えていると、当然いろいろな質問を受けるわけですが、その場で即答できるものばかりではありません。なかでも名詞は意外とくせ者で、説明に困ることがままあります。

 みなさんも中学で習ったかと思いますが、名詞は「可算名詞」と「不可算名詞」に分けられます。

 そう、つまり1つ、2つと個数として「数えられる名詞」が可算名詞、多くの場合、可算名詞が複数を表すとき語尾に-(e)sがつきます。

 一方、1つ2つと「数えられない名詞」が不可算名詞です。決まりとしては、複数を表す-(e)sがつかず、one、two、threeなどの数を表す語といっしょには用いられないということです。

 可算名詞と不可算名詞は英和辞書ではよくc uと記されています。cはcountableで「数えられる」を意味し、uはuncountableで「数えられない」を意味します。

 と、前置きが長くなってしまいましたが、これらの名詞の何が困るかというと、数えられない名詞に分類されているのに、日常生活で便宜上1つ2つと数えているものがあります。

 たとえば information (情報)は実体がないし、目で見えないし、手で触れないので抽象名詞です。

 けれども日常生活では便宜上、「情報を2つ得た」のように言いますが、この場合は two pieces of information になります。

 ちなみにこの原稿はワードを使って書いているのですが、informations と書くとワードの画面にスペルミスであることを示す赤の波線が informations の下に引かれるので、ワードでは間違いだと認識しています。

 この information ですが、じつは最近、two informations という表現がけっこう使われていることを発見しました。もしかしたら将来的には数えられる名詞になるのかもしれません。

 同じような例に advice があります。

 information 同様、advice も昨今、advices と -(e)s をつけて複数形として普通に使われているのをあちこちで目にするようになりました。

 もともと advice には「通知」や「報告」、「情報」という意味があって、その場合には advices と複数形をとることもあると辞書に載っていますが、どうも「忠告」という意味でも advices という形で使われています。

 information といい advice といい、テスト対策の授業で名詞を説明するたびに「名詞には可算名詞と不可算名詞があります。

 それぞれの区別はしっかりつけてください」と受講生に教えている立場としては、このような矛盾があるとじつに困るわけです。

 もし受講生につっこまれたらなんて答えようと思いますが、Honesty is the best policy. ということわざにもあるとおり、現状を説明するのがいちばんいいでしょう。

 やはり言語というのは生き物なんだなあとしみじみ思います。日本語だって、学生時代に古文の授業で習ったあの文章を昔の人は使っていたわけで、今使っている日本語と比べると、まさに激変しています。英語も同じです。
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単純化に向かう英語

 英語は単純化に向かうと、何かの本で読んだことがあります。多くの人が英語を使うことになると、複雑な細かいルールでは使いこなせない人が出てきます。

 そこで簡単なものだけがよく使われるようになり、面倒くさいルールや表現などは使われず廃れていきます。

 ふとネイティブによって指摘された間違いを振り返ると、私が日本語の感覚で書いたものの中に、英語とのずれが生じ、そこをネイティブに指摘されることが多々あります。

 たとえば日本語には、人称によって動詞に-(e)s(3単現の-(e)s)がつくという決まりはありません。

 もしジャパニーズ英語が認知された日には、ジャパニーズ英語の特徴は3単現の-(e)sが付かないことだと堂々と世界に宣言してもいいかもしれません。

 また複数を表すのに名詞に-(e)sを付けることも消滅するかもしれません。日本語で、「あそこにいるネコら(ネコたち)を見て」と複数形にしていうことはほとんどありません。

 複数形が私が日々頭を悩ませている可算・不可算名詞の区別や冠詞も、できればなくなってもらえると個人的には非常にありがたいと思っています。

 そんなふうに、もしかしたらジャパニーズ英語では、私がしてきた数々の間違いはOKとなる日が来るかもしれません。

 そうなると英語はいろいろな国の言語の特徴を許容し、しかも単純化に向かう可能性が高くなります。

 英語ネイティブではないものにとってはとても都合がいいのですが、文法では制御しきれない、よく言えば柔軟性に富んだ、悪く言えば、細かいニュアンスを表現できない大雑把な言語になってしまう危険もあるように思います。
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ネイティブチェックから思うこと

 出版業界に携わってネイティブチェックなるものを数多く受けるまでは、正しい英語というものが1つ存在しているような気がしていました。

 そして、その正しい英語を書こう、身につけようと思いながら仕事も勉強もしてきたように思います。

 ところがネイティブチェックを受けいくうちに、人によって言葉使いが随分と違うものだなあと思うようになりました。当たり前と言えば当たり前なのですが。

 そう考えてみると、「正しい英語」なんてものをあまり事細かに設定する必要も、こだわる必要もないのかもしれません。

 もちろんgoの過去形はgoedではなくwentだとか、decide to doのようにtoの次には動詞の原形が来るなど、決まったルールは存在します。

 でも細かいところはもっと大らかに考えていいのではないでしょうか?

 日本では人生の節目、節目でテストがあって、点数を出していくような教育システムの中で英語を学んでいるので、正解と不正解をはっきりさせるように教材を作ります。

 とくに本になって残るとなると、へたなものは書けないし、どこからも文句が出ないようにかなり気をつけます。

 ところがこういう思いが、これは○でこれは×とか、何か「正しい英語」があるようなイメージを作り上げることに加担してしまったのではないかと思っています。

 英語に関していうと、本文でも触れたように、どちらでもいいことも多いし、間違ってもわかってくれることも多いし、別に間違ったからといって罰せられるわけでもないと思っています。

 私自身、英語を使うにつれ、細かいことはどうでもいいんだと思えるようになり、以前よりもいい意味で英語に対していい加減になりました。

 また、数をこなさないとわからないことも多いと、つくづく思っています。文法や辞書の説明からはこぼれ落ちる英語がたくさんあって、日々英語に触れていく中で身についていくので、気長に構えています。
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ネイティブに任せたくても任せられない録音台本の作成

 昨今はたいていの英語本にCDがついていて、仕事柄CDの録音に立ち会うことも多くあります。

 一読者の立場としては、CD付きというのは非常に親切でありがたいのですが、これが制作する側になると話はまったく違います。

 この録音現場というのがこれまた非常にスリルに満ちあふれており、ときと場合によっては(というよりも多くの場合)キリキリと胃が痛くなることの連続だったりするのです。

 そんな胃の痛くなるような録音現場ではどのようなことが行われているのか、その裏側をちょっとお見せしようと思います。

 さて、CDに録音するときには、多くの場合、録音台本を作成します。

 この録音台本は誰が作成するかというと、執筆者本人だったり、編集者だったり、ネイティブのライターに頼んだりと、それは録音する内容によってそれこそケースバイケースです。

 以前、企業の新人研修の英語教材を作成したときには、ネイティブに台本を書いてもらいました。

 もともとその企業には英語版の会社説明の資料があり、それをもとにちょっとアレンジすればよかったので著作権の心配もなく、何よりも単語や文法の制約を気にすることもなかったからできたことです。

 ネイティブに書いてもらえば、日本人執筆者に頼む必要もなく、ネイティブチェックを入れる面倒もなく、手間と費用が省けます。

 だったらすべての仕事をネイティブに書いてもらえばいいじゃないかと思われるでしょうが、ここに例の日本の教育制度が立ちはだかるわけです。

 学校関連の英語教材は、Part1でお話ししたように文法事項や単語・イディオムなどの制約が多く、日本人執筆者でも慣れた人でないと扱いづらい仕事です。

 ましてや日本の英語教育事情をあまり知らないネイティブは、既習、未習お構いなしで好きなように書いてきますから、使える原稿が上がってこないことがほとんどです。

 そのため多くの場合は、私たち日本人執筆者が書いた原稿をネイティブチェックにかけ、同時に何人かの日本人校正者にもチェックしてもらい、そのほぼ完成した原稿をもとに台本を用意し、録音スタジオで録音するということになります。

 ネイティブが書くにしろ、日本人執筆者が書くにしろ、幾重にもチェックを重ねて完成した原稿を、さらに最終的にネイティブの目を入れてほぼ完璧な状態に仕上げて録音に臨みます。

 ここまでやれば現場ではただ台本を読んでもらうだけですむだろうから安心と思われる方もたぶんいらっしゃるでしょう。

 ところがそう簡単に済まないのが、録音の難しいところなのです。
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録音現場の判断はその場で即決!?

 録音が終わった後に万一ミスが発覚した場合、音声の修正をしなければなりません。

 編集作業で修正できるミスならいいのですが、どうしても録り直しをしなければならない場合、スタジオを押さえ、音声を吹き込んでもらったネイティブに来てもらいます。

 書籍添付のCDを録音する場合は、書籍のほうの修正をし尽くして、これ以上修正はないと自信を持てたところで録音に入ります。

 ところが現場ではほぼ100パーセント、吹き込み者(当然ネイティブです)から英語の修正が入ります。

 もちろん、事前にチェックしてくれたネイティブが単に見逃したという場合もあるのです。

 しかしそれよりも、チェックしてくれたネイティブの持っているボキャブラリーと、吹き込み者であるネイティブの持っているボキャブラリーに違いがあるために、「ふつうこんなふうには(自分は)言わない」と現場で物言いが入るケースが多くあります。

 たとえ同じことをいう場合でも、その伝える表現のしかたは人それぞれだというのは、日本語も英語も同じです。

 とにかくネイティブにチェックしてもらっているから大丈夫なはずだとこちらは思うのですが、吹き込み者はとにかくこれはおかしいと主張してきます。

 We've already had it corrected by another native speaker of English.

 「別のネイティブにチェックしてもらったから」と言っても、

 But it still doesn't sound natural.「それでも自然ではない」

 (たいていの場合、「自分にとって」という意味に近いのですが)と譲りません。


 どうせその人のボキャブラリーの範囲を出ない指摘だろうと押し切ってしまえばすむかもしれませんが、万一ということもあります。

 私自身も英語の仕事に携わっているとはいえ、まだ母国語ほど操れるわけではないので、不安なところが多々あります。大いに悩む瞬間です。

 しかもスタジオの使用時間には限りがあるので、じっくり調べたり、悩んだりしている時間はありません。スタジオは時間単位で料金がかかります。

 オペレーターもつきますし、もちろんネイティブの吹き込み者も、男女2人というケースが多いのですが、多いときは5人ということもありました。

 場合によっては版元の社員も来ますし、著者や編集担当者も立ち会います。それだけの人間がかかわるのですから、人件費だけでも相当の額です。

 しかも時間内に終わらなければ、さらに追加で費用がかさみます。現場で余計な時間を割くわけにはいきません。

 ネイティブチェックをかけたとは言え、目の前で「違う」と言われると、どうしても不安が先に立ち、その場で修正してしまいます。無力感を味わう瞬間です。

 ただ、どうしても納得できない場合は、台本のままの文章と、吹き込み者が主張するものと両方録音しておいて、社に戻ってからしっかりと調べ直して編集してもらうことも稀にあります。

 正直なところ、ネイティブ吹き込み者から物言いがつくたびに胃が痛くなります。
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疑問詞で始まる疑問文なのにイントネーションが上がる?!

 台本の英語を整え準備万端と構えていても、ときどき後頭部に不意打ちを食らうこともあります。その1つがイントネーションです。

 たとえば、疑問文は多くの場合、語尾を上げ調子で読みますが、WhatやWho、Whereなどの疑問詞で始まる疑問文は基本的に下げ調子で読むと中学では習います。私も中学生の頃にそう習いました。

 ところが実際に吹き込み者に会話文を読んでもらうと、意外と多くのネイティブが上げ調子のイントネーションで読んだりするのです。

 しかも、非常にナチュラルに上げ調子で読む吹き込み者が思いのほか多く、そのうち、もしかしたら教科書で教えていることが間違っているのではないかと疑ったこともありました。

 いろいろなネイティブに聞いてみたこともあるのですが、ネイティブにとっては、上げ調子で読もうが下げ調子で読もうが、あまり意識していないようでした。

 一般向けの英会話本などでしたら、そのままでもいいのかもしれませんが、さすがに中学校の教材の場合はそのままというわけにはいきません。

 疑問詞を含む疑問文は下げ調子のイントネーションで言うのだと教科書で説明しているので、たとえナチュラルでも下げ調子に変えてもらい、その場でもう1度読んでもらいます。

 でも、彼らにとってはナチュラルな読み方なので、気をつけていないと自然にまた上げ調子で読んでしまいます。

 その都度、日本人である私が、英語を母国語としている彼らのイントネーションをチェックして読み直してくださいと指示するのですが、そのたびに、何だか妙な申し訳なさと理不尽さを感じるのです。
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母音の前のtheを「ズィ」と読まない

 中学生の英語では、母音の前のtheは「ザ」ではなく「ズィ」のように発音すると習います。たとえば、次のような場合です。

 Our office is on the eighth floor.

 下線を引いたtheはofficeが[]音という母音で始まっているので、「ズィ」のように発音します。ところが、実際に録音にのぞむと、吹き込み者の中には母音の前でもtheを「ザ」と読んでいる人が少なからずいるのです。

 これが一般向けの会話の教材やTOEICのリスニングテストの問題なら、吹き込み者が読むままにしておきます。

 なまじ私が介入して、いい感じでテンポよく読んでいるものを中断する気もありません。ところが中学生用など初級の教材となると、これも授業で「母音の前のtheはズィと発音する」と教えているので、見過ごすわけにはいかないのです。

 ちなみに、洋書の文法書であるLongmanの『An A – Z of English Grammar & Usage』には、

 Use the [ ] before vowel sounds : the eggs [ ].

 とあり、母音の前では「ズィ」と発音するとあります。

 おそらく昔は母音の前のtheを「ズィ」といっている人が多かったのでしょうが、最近「ザ」という人も増えてきたということでしょう。

 とはいえ、中学の教材などの場合はそうも言っていられないので、「ズィ」と読み直してくださいと吹き込み者にお願いします。

 すると職業柄、もしかしたら他でもそう読んでいるかも知れないと、次から次へ不安が広がります。もしかしたらこれまで読んでもらった中で、「ザ」と読んでいたのに聞き逃している部分がないとはいえません。

 a[an]やtheは英文のいたるところに出てきます。疑問詞で始まる疑問文のイントネーションと同じパターンなのですが、このようなことが続くと、いっそ中学でも「基本は『ズィ』と読むけど、『ザ』と読んでも構いません」と教えておいてくれないかと思ったりもします。
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英語の発音をコントロール

 とくに中学準拠版の録音で神経を使うのが、名詞の複数形や動詞の三単現の-(e)sの発音です。これがまたよく「消える」のです。

 特に後ろにtheのように似た音や、同音がくると-(e)sの音は発音しないことが多くあります。消えて聞こえるほうがごく自然なこととはいえ、ここはやはり元の教材には従わなくてはなりません。

 booksは「ス」、dishesは「イズ」、playsは「ズ」のように発音すると説明している教材では、吹き込み者に不自然なほど語尾を強調して発音してもらうこともあります。

 そしてもうひとつ、否定文にするときにnotを使いますが、この破裂音([t]-[d]、[k]-[g]、[p]-[b]の6音)の[t]音もまたよく消えます。

たとえば、次のような英文を読むとしましょう。

 (1) I can play the piano.

 (2) I can't play the piano.

 (1)の文を否定文にしたものが(2)の文です。(2)のcan'tの[t]音は自然なスピードではよく消えるので、これがcanと同じような音になります。

 意味は正反対なのに音が似ているという、ややこしい例です。

 ただ、消えるとはいえもともとある音なので、その分の間が空く感じです。あえてカタカナで表記すると、can playは「キャンプレイ」でcan't playは「キャン ( ) プレイ」となり、「キャン」と「プレイ」の間に元のnotの[t]音分の間が若干空く感じです。

 こちらに関して言えば、消えることがナチュラルなのだからと思いつつも、「中学準拠版だし、あとで問題になっても困るし」とついつい弱気になってしまい、念には念を入れてちょっとだけ強調して読み直してもらうこともありました。
posted by 佐藤 at 06:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

個人差のあるナチュラル英語と音の変化

以前、音同士がくっついたり消えたりする現象、リズムやイントネーションなど、いろいろな音の現象を扱ったリスニング教材をつくったときの出来事です。

 その中で、一つ一つの単語にある固有の音が、文中で連続して発話されるとどう変化するのかを、カタカナ表記して詳しく解説しました。

もともと英語の発音を日本語のカタカナで表記すること自体に無理があったといえばあったのですが、自宅学習者にとっては有効な手立てになると考えていました。

 しかし、このカタカナ表記があだになりました。

 音の変化は主に話すときのスピードによって、変化したりしなかったりします。ナチュラルな速さでは音がいろいろと変化し、遅くなるに従って、1語1語の音が変化せず発話されます。

 話すときの速さだけでなく、吹き込み者の癖のようなものもあって、ナチュラルに話されても変化しない場合もあります。言ってみれば、とてもあいまいで不確かなのが、英語の音の変化です。

 そのときは、その不確かな音の変化をわざわざカタカナで表記するのがセールスポイントだったので、かなりの難作業になりました。

 録音にのぞむときは、これ以上修正が入らないぐらい事前にテキストの内容を確定させます。ところが音の変化は、録音現場でネイティブの話す英語を聞かないことには、何とも判断できない要素がありました。

取り上げたい変化音の数が多く、事前の打ち合わせをしませんでした。録音前にこう読んでほしいと言ったところで、ネイティブは読んでいるうちに使い慣れている言い方になってしまうだろうことが容易に想像されたからです。

 それをあえて無理強いしてしまうと、かえってぎこちなくなることが目に見えています。そこで、もし吹き込み者の読む英語とカタカナ表記がズレたら、その都度指摘して読み直してもらうことにしました。

 そうして臨んだ録音本番。さっそくカタカナ表記とのズレが生じました。しかも英語にそれほど詳しくない人でも知っているであろう、don't you〜の音の変化です。

 Why don't you go to the gym and do some exercise?
 「ジムに行って運動してはどうですか」

 youの語頭が[j]音という半母音になっていて、この半母音が、前の語の語尾の子音とくっついて独特な音をつくります。

 この場合、don’t youはdon’tの[t]音とyouの[j ]音がくっついて「ドゥンチュ」のように聞こえます。当然カタカナ表記も「ドゥンチュ」としています。

 ところがこのときの吹き込み者は、この部分を「ドゥンチュ」ではなく「ドゥン ィユー」と発音したのです。

 ちなみに「ドゥン ィユー」でもけっして間違いではありません。彼のようにdon’tの[t]音(破裂音)が消えて「ドゥン ィユー」のように発音する人もいるのです。

 ちなみに、遅く話すときは「ドゥントゥ ィユー」のようにそれぞれに固有の音で発音されます。

 けっして間違いではないのですが、ここは子音と母音がつながることを説明する箇所で「ドンチュ」と発音してほしいところなので、お願いして「ドゥンチュ」に変えてもらいました。

 ネイティブでも何でもない自分が、ある意図のもとにネイティブの発音をリテイクしてもらってもいいのだろうかという疑問は、常に私の頭にあります。

 リスニング教材を作っていて痛感するのは、英語の音声は話す人によって、なんとまちまちで、あいまいなことかということです。

 その人の癖によって、あるいは話す速さによって音の変化の仕方は変わるし、単語に固有のアクセントの位置も文中では変化することがあるし、イントネーションは習ったとおりに上がったり下がったりしないことがままあります。

 もともと音声上の規則は、多くの人が話している、その音声の特徴の最大公約数を集めたものだと思います。
 
 疑問詞で始まる疑問文も、上げ調子で言う人が多くなればそれが規則になるくらい、いい加減なものなのでしょう。

 語学学習にはこのあいまいさを受け入れて、例外を許容する心のおおらかさが必要になります。これは、白黒はっきりさせたい人、論理的な人、答えが一つであってほしい人には耐えられないかもしれません。

 最近では中学校の教科書でも、音が消えたり、つながったりする変化を扱っていて、よりナチュラルな英語で教科書の英文が読まれています。

 けれども、15年くらい前は中1レベルの教材や初級レベルの英会話などは、吹き込み者に発音が変化しないように1語1語分けて読んでもらっていました。

 そのため1語1語の音は聞き取りやすいのですが、何か不自然な英語になっていました。

 当時は、録音の現場でも、音が変化したら、録り直してもらっていました。つまりナチュラルな英語になったら、わざわざ不自然な英語に録り直していたのです。

 今から考えると、リスニング教材としてはあまり適切ではなかったと思いますが、その当時はわかりやすい英語を聞いて、英語の発音に慣れてもらおうという意図が優先されたため、音を変化させずに1語1語はっきり読んでもらっていたのです。

 翻って現在、今度はこのように変化させてもらわなければ困ると、制作サイドの日本人がネイティブに指示を出している――なんだかそれはそれで腑に落ちないものを感じなくはないのですが、時代とともに変わっていく英語教育を肌で感じています。
posted by 佐藤 at 05:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

デジタルで便利になった録音編集

 時代とともに変わっていくといえば、ちょっと話は横道に逸れますが、音声の編集技術の進歩は目を見張るものがあります。

 録音が終わった後、技術者がそのテープを編集してチェック用のCDを出してくれます。私はそれを聞きながらチェックするわけですが、その段階で現場では気づかなかった間違いが見つかることがたまにあります。

 昔、録音にテープを使っていたころは、間違った箇所のテープをはさみで切り取って、残った録音テープの切れた端と端を特殊なテープでつなぎ合わせていました。

 当然、すべて手作業です。締め切りが迫っているときには、私も夜中じゅう録音技術者の編集を手伝ったことがあります。まさに職人の世界です。


 今はどうかというと、コンピュータ上でデジタル処理をしています。録音した音声が波形となってモニターに表れます。

 おかしな箇所は波形を見ながらデータを削除しますが、あたかもワードで文字を消すがごとくです。捨てたデータも完全に消去しなければ残っていますから、復活させることも簡単です。

 また、少しくらいの読み間違えなら、コンピュータ上で電子処理をします。ひと昔前のように、読み間違えたら、日を改めて吹き込み者を呼んできて録り直すようなことはしません。

 以前、とある録音スタジオで、スタジオ専属の吹き込み者に録音してもらったとき、収録後に読み間違えが発覚しました。

 そこでその吹き込み者が別の箇所で同じ単語を読んでいるか探して、それを修正箇所に当てようとしました。

 ところがうまく見つからず、いよいよ再録かと覚悟したところ、まったく別の教材でその人が録音したときの音源が残っていました。

 その音源の中に、今回の問題箇所の音と近い音があり、それを拝借したことがあります。技術の進歩は日進月歩で、時代は変わったなあと実感しました。


 もしかしたらそう遠くない将来、吹き込み者に頼まなくても、蓄積された膨大な音声のデータを組み合わせていけば、音声教材をつくることができるようになるかもしれません。

 そうなれば、録音現場で胃の痛くなるような思いをしなくてすむので万々歳――と喜びたいところですが、それは逆に考えれば、私の仕事がひとつ減ってしまうということです。

 また、たとえ英語がわからなくても、コンピュータが全部自動的に、しかも完璧に翻訳して自分の代わりに会話してくれるようなシステムが開発されるかもしれません。

 それで人々が忍耐と努力の結晶とも言える語学習得の苦行から解放されるなら……とは、個人的にはなかなか言えない複雑な心境です。

 私は心の片隅にいつも高性能の自動翻訳機ができたら別の仕事を探さなければいけないかもしれないと、じつはこっそりと危機感を持っています。

 その反面、言語というのはかなりあやふやな部分が多いので、そう簡単にはいかないだろうとちょっと安心していたりもします。
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2013年08月24日

あまたあるTOEICの教材

 テキスト選びのポイントとして、私がかならずチェックするところがあります。これからTOEICテストに向けて勉強される予定の方にとってはけっしてソンのない情報ですので、ちょっと長くなりますが読んでみてください。

 数多あるTOEIC対策本の中から私が選ぶポイントは、Part2の誤答の作り方です。

 ところでPart2はどんな問題形式かというと、このPart2はリスニングセクションにあたります。まず初めに質問文が音声で流れ、その後に選択肢として(A)〜(C)の3つの応答文が読まれます。

 初めに読まれた質問文に対し、最も適切に答えているものをその3つの選択肢から1つ選んでマークシートの記号を塗りつぶすのです。

 ちなみにリスニングなので、問題文も選択肢も当然、問題用紙に印刷されていません。

 解答時間は1問について4〜5秒程度で、合計30問出題されます。

 2006年5月に新テストが導入され、受験生や私のような英語教育に携わる人たちの間でちょっとした話題になりました。一部改定されましたが、このPart2は改定の対象になりませんでした。

 私の経験によると、TOEICテストは、特にPart2の誤答の選択肢の作り方に特徴があります。パターンがいくつかあって、それを問題に応じて使い分けているような印象を受けます。

 そしてそのパターンが、同じリスニングセクションPart3の会話問題とPart4の説明文問題の選択肢、あるいはリーディングセクションPart7の読解問題の選択肢にも見受けられます。

 英語を聞いたり話したりするときに陥りがちな事例を、選択肢の中に織り込んで作っているようです。

 それでは、はたしてどんなところに誤答のトラップが仕掛けられているのか。実際に問題を作成しながら詳しく説明していきましょう。
posted by 佐藤 at 21:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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