2013年08月26日

私たちは発音の仕方を習っていない

 まだまだ多くの人が、英語を発音するときにローマ字読みをしてそれらしく発音しているのではないでしょうか。

 たとえば、win の過去・過去分詞形の won を「ウォン」のようにローマ字読みして発音する人は結構います。この発音では韓国の通貨単位の「ウォン」のような発音になります。

 won の本来の発音は one と同じです。しいてカタカナで似た音になるように表記すると「ワン」という発音になります。

 英語の発音には日本語にない音が数多く含まれています。つまり口や舌、唇の使い方が根本的に違うのです。

 たとえば[f]音は、上の歯で下唇をかみながら日本語の「フ」と言い、かすれた感じの[f]音を出します。日本語でこのような口の動きをして発音する文字はありません。

 finish や fire、flower など、すべて[f]音の動きをして発音します。日本語の「フ」ではないのです。日本語の「フ」でないものを日本語の「フ」で発音するのは単純に正しい発音ではありません。

 日本語英語でかまわないという人もいますが、私の経験から言うと、子音(20そこそこあります)だけでも正しい口の動きで発音すると、かなり英語らしく聞こえてきます。

 これを日本語の発音で代用し、このまま野放しにしていては、英語の正しい発音は身につきません。

 英語のリスニングやスピーキングを身につける場合、より正確な発音を真似て言うことで、アメリカ人やイギリス人が発音している音が聞き取りやすくなります。

 自分が正しく発音することで、相手が言う英語がより聞き取りやすくなるようです。

 日本人は英語を話すときにアガってオロオロしてしまうという話をよく耳にしますが、その原因の1つが発音にあると思います。

 日本人は中学高校を通して英語を学んでいながら話せないと外国人からバカにされることもあります。

 長い間英語を勉強したにもかかわらずあいさつすらろくにできないという劣等感を、少なからず心の中に抱えているのではないでしょうか。

 でも冷静に考えてみてください。6年間、正しい発音の仕方も教わっていない、英語を聞いたり話したりする機会もなくて、どうやって正しい発音をすることができるでしょうか。

 外人を前にして正しい英語で話さなければと思っても、教わっていないのです。やってきたのは読解中心の授業です。事前の準備が何もないのであがってしまうのも仕方ないではありませんか

 もしそれが劣等感になっているのなら、それを解消すべく正しい発音を身につければいいのです。やっていないからできないのであって、能力の有無の問題ではありません

 一生懸命やってもできないなら能力の問題かもしれませんが、やっていないのです。これが一番大きな原因です。
posted by 佐藤 at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

正確な発音の手がかりになる発音記号

 では、どのようにして英語らしい英語の発音を身につけたらいいでしょうか。

 一番問題なのは、正しい英語の発音を身につけたいと思っていても、どうしていいかわからないことです。発音を正しく身につける術がわからず、手をこまねいている人が多いと想像します。

 私が中学生のころは単語のひとつひとつに発音記号が載っていましたから、当然のように問題集にも発音の問題が載っていました。

 むしろ、定番ですらありました。今思えば、発音問題なのに音声で問わず、紙面上で問う形式というところが、不思議といえば不思議なのですが。

 たとえば、いくつかの選択肢の中から、下線部の発音がほかと異なるものを選ぶという問題がありました。そのときによく出てきたのが、同じearというつづりをもつ以下の単語を使った問題です。

 (A) hear            (B) ear
 (C) near            (D) learn

 ちなみに、この中で1つだけ発音が違うのはlearnです。

 日本人はとかく英語をローマ字読みしがちで、つづりが同じなら同じ発音だと思いがちです。

 解説にはhearとearとnearのearの部分は[発音記号]と発音し、learnは[発音記号]という発音だと、発音記号を載せてその違いを説明します。

 発音を紙面で取り上げることは、音楽を音符にして記すようで、実際に奏でなければ価値がでません。

 たいていの辞書には発音記号の発音の仕方が記してありますので、発音練習をするとき、これを使わない手はありません。

 英語を見よう見まねで発音しようと思っても、個々の音、例えば[r]音はどのように口や舌、唇を動かして発音するのか、[l]音はどう発音するのかわからないと思います。

 実はこの発音記号、アメリカ人やイギリス人は読めない人がたくさんいます。

 以前、録音の仕事でナレーションを頼んだアメリカ人に発音記号を見せながら、どう発音するのか尋ねたことがあります。彼は小学校か中学校のころ学校で見た気がすると言っていました。

 考えてみれば、英語を母国語としている人が発音記号を見る必要はありません。

 日本人が日本語の発音を記した記号などなくても日本語の発音を覚えたように、アメリカ人やイギリス人も何十年も英語圏で生活しているうちに無意識に身につけているのでしょう。

 ただ発音記号は、私たちが英語を発音するとき、手がかりになる便利な記号です。昨今は発音記号を解説した教材も出版されています。

 ビデオやDVDで、どのように口や舌、唇を動かすのかこまかく解説しているものもあるのでぜひ参照してください。
posted by 佐藤 at 21:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

発音練習はスポーツだ

 英語を発音するとき、口や舌や唇を使って英語を声にしますが、私たちの口や舌や唇は日本語を動かす動きに慣れているので、英語を話そうと思っても、その独特の動きについていけません。

 けれども、ちょっと練習すれば、すぐできるようになります。これはテニスや野球の素振りに似ています。


 テニスの素人がいきなりテニスコートに出ても、うまくボールを打ち返すことができません。素人はフォームを見ればわかるように、毎回、違うフォームでぎこちなく球を打ちます。

 プロは決まったフォームで、コンスタントに力強くボールを打ちます。

 ただ、素人でも素振りをして正しい手や足、腰などの動きを体に覚えさせれば、ボールが来たときに自然と体が反応して、きれいなフォームで生きたボールを打ち返すことができます。

 英語の発音も同じです。動きがわからないので、おかしな口の動かし方をして、日本語とも英語ともつかないような発音で話してしまいますが、練習して口や舌や唇などに正しく覚えこませれば、とっさに口や舌、唇が動いてくれます。

 英語を話すとき、いちいちこれは[r]音だから巻き舌にして、これは[p]音だから唇と閉じて、気道を塞ぎ、息を溜め込んで破裂させるように一気に吐き出すなどと意識していては、英語を少し話すだけで疲れてしまいますし、むやみに慌てる原因にもなります。

 私自身は英語を話そうと思うとき、条件反射的に口や舌、唇が英語を発音する動きになってきました。つまりそちらに神経を使わないので、話す内容や相手の表情など、その他のことに意識を使うことができます。

 条件反射的に英語を発音できるように、何度も正しい口の動かし方で反復練習をして、口や唇、舌の筋肉に英語の発音の仕方を覚えこませることをお勧めします。

 もちろんすぐ正しい発音が身につくわけではありません。ある程度長い時間をかけて、少しずつ英語に近づけていこうという、おおらかな気持ちで取り組むのがいいと思います
posted by 佐藤 at 11:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

結局は自宅でも英語に触れることが大切

 英語の勉強時間はどのくらいでしょうか? 例えば企業研修で週に1回2時間、外人講師と会話の勉強をしたり、テスト対策の勉強をしたりしています。

 ただ、週1回2時間ほど英語を勉強しても、残りの6日と22時間(厳密には睡眠時間などを抜かしますが)、日本語でものを考え、日本語で話をし、日本語で書かれた本や雑誌を読み、テレビを見ていては、英語は身につきません。

 語学学習で大切なことの1つは、自主学習にどれだけ時間を費やすことができるかです。英会話でもそうです。

 いくら週1回や2回、英会話を習って話したからといって、他の時間にまったく英語を話さなければ、いっこうに話せるようにはなりません。

 リスニングはともかく、スピーキングをひとり自宅で練習することなどできないという声が聞こえてきそうです。

 もし発音記号を見て、それが示す口の形が間違いなくできるなら、筋肉に覚えさせることは自宅でも十分できると思います。

 英語を母国語とする人は毎日のように話して口を動かしているので違和感はありません。留学した人も毎日のように口を動かしていたでしょうから、訓練などしなくても動くと思います。

 ところが日本人が国内で英語を身につけようと思うなら、意識的に口の筋肉を動かす機会を設けないと、いざという時、思うようには動いてくれません。

 理想を言えば、小学校か中学校くらいまでに正確な発音の仕方を教えておいて、自宅学習できるような体制を整えることだと思います。音読などして正しく口を動かす時間を設けることです。
posted by 佐藤 at 10:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

つまずきの元凶・前置詞や冠詞は、意味よりも音で覚える!

 発音と関連して、単語を覚えるとき、特に日本人にとってやっかいな前置詞や冠詞を覚えるとき、意味を覚えるよりは音を重視して覚えたほうが効果的だと思います。

 英語を勉強している人ならわかると思いますが、前置詞や冠詞にはたくさんの意味や用法があり、英語を母国語とする外国人でさえ、きちんと説明できる人はそう多くはないのです。

(というより、彼らは英語を文法的に説明する必要がありません。それは私たちが日本語を文法的に説明する必要がないのと同じです)。

 例えば前置詞の with を辞書で調べると、小見出しだけでもだいたい20前後は意味が載っています。

 曖昧な記憶ですが、以前「この with はどういう意味ですか?」と聞かれて、即答できなかったことがあります。

 家に帰って with が使われている英文やその前後の英文などを何度も読み返しながら考え、これはたとえば with の14番目に出ている「対象」を表す「〜に対して」だろうという結論に達し、説明したことがあります。

 辞書を引き、どの意味の with だろうと考えることは、特に私のように日本語で説明を求められる人には必要ですが、時間のかかる難儀なことです。

 大学生の頃、私も前置詞について大いに悩んだことがありました。英語を勉強していると頻繁に出てきて、意味をとれないこともあったので、何とかならないものかと考えたのです。

 そこで with や on や at などの前置詞、また基本動詞の take や get など、20前後の意味が載っている語をコピーして下敷きにはさんで、暇を見ては目を通していました。

 前置詞のもつ雰囲気みたいなものを身につけようと思ったのです。

 ただ、この方法はあまり面白いことではなく、程なくしてやめてしまいました。

 冠詞も同様です。the は辞書にもよりますが、20前後は意味が出ています。

 英文を読んでいて、出てくる the ごとに辞書を引き、これは13番目の the の意味だとか、これは7番目の the の意味だとかいちいち調べあげたこともありました。

 けれどもこれも私の経験上、あまり効率的な学習だとは言えません。

 the の意味を取り違えたからといって、文全体の内容を理解できなくなることもほとんどありませんし、1つ1つ見ていく手間を考えたら、他の英文をたくさん読んだほうが余程上達すると思います。

 なので、前置詞や冠詞を身につけようと思ったら1つ1つの意味を全部覚えるのではなく、基本的な意味のみ覚えておき、あとはひたすらフレーズごと音読して覚えることをおすすめします。

 日本語で考えてみましょう。「私は駅へ行く」と言います。これはごくふつうに使う日本語です。似たような言い方で、自分もそうするという意味で「私も駅へ行く」とも言います。

 他に「私と駅へ行く」、「私が駅へ行く」も不自然な日本語ではありません。ところが「私へ駅へ行く」とは言いません。

 「私へ駅へ行く」と聞いておかしいと判断するとき、きちんと文法を理解した上で誤りだと論理的に説明できる人は、そういないと思います。

 では、どうしておかしいかというと、普段耳にしないし、自分でも言わないからです。音としておかしい、と判断しているわけです。

 私たちは、英単語を覚えるというのは意味を日本語で覚えると刷り込まれています。

 前置詞や冠詞のような、文全体の意味を左右しないことが多い、そして頻繁に使われる語(主には機能語)は、何度も音読して音で覚えたほうが近道だと思います。

 音で覚えれば、英語を聞いたとき、こんな風に言わないという判断ができます。これは、筋道立てて文法的に間違っていると判断するより、よりその言語に慣れ親しんだある意味高度な判断だと思います。

 単語はみな一律に意味を覚えるとだれが決めたのでしょうか?前置詞と冠詞はあまり理屈っぽく考えず、とにかく音読して覚える!

 なぜなら、私たちは日本語ではごく自然にそうしているからです。

 前置詞の場合、代表的な意味を覚えるときに私がおすすめするのは、イラスト入りで前置詞のイメージが描かれた教材です。

 理由は日本語を介して覚えないようにし、それぞれの前置詞の基本的なイメージを覚えたほうが、細かい意味の違いにこだわるよりもよっぽど応用が利くと思うからです。

 また the なら、どれでもいいのではなく限定された「その」というニュアンスと、the sun や the earth、the same や序数の前に the first、the second のように the がつくことなどを覚えておけば十分だと思います。

 いずれにしても、あまり神経質に意味を考えるよりも、音読したり、たくさん英語を聞いて音として覚えてしまうのがいいと思います。
posted by 佐藤 at 10:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

単語をどのくらい覚えるか

 ビジネスや旅行、小説、映画、TOEICなどいろいろな場面で使おうと本格的に学ぶなら、英単語は手広く覚えることが望ましいです。

 私自身もっとも集中的に英単語を覚えたのはやはり大学受験の時でした。

 受験前になると、学校の授業で覚える英単語だけでは、大学受験はとても太刀打ちできないという噂を耳にし、「単語を覚えなければいけない」という強迫観念に襲われたのを覚えています。

 私の頃は、『出る単』と言う単語集があって、それさえ覚えれば大学入試の英単語はOKという時代がありました。

 ただ、率直に言うと、中学・高校時代に授業で覚えた単語では、学校から離れて英語を使おうと思ったとき、どうにも対応できないと思います。

 たとえば中学3年分の教科書の英語を全文覚えたとしても、英語はできるようになりません。大学に行った人がもつボキャブラリーでも少ないくらいです。

 数で具体的に示すのは難しいですが、私の実感では、大学受験で覚えた単語は、氷山の一角だと心得ておいたほうがいいと思います。

 当時、大学を受験の準備をしながら、こんなに覚えなければいけないのかとうんざりしたものですが、今にして思えば、あの程度はかわいいものです。

 たとえば、キオスクで英字新聞でも買って読もうと思っても、あるいはちょっと話題になった映画を見たり、その原作を読もうにも、大学受験で覚えた単語の何倍もの単語を覚えていなければ、途中で立ち往生すること必死です。
posted by 佐藤 at 10:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

中学英語と高校英語では、学ぶ量が桁違い!

 私は中学のときは、英語は好きでした。もっとも、英語という外国語を操ることが好きだったと言うよりは、英語の成績がよかったので英語という科目が好きだったと言ったほうがより正確な表現だと思います。

 その当時、洋書を原文で読めるようになりたいとか、映画を字幕なしで見たい、外国人を相手に英語を話したいなど考えもしませんでした。

 ただ、教科書の英語を日本語で理解し、試験でいい点を取ることだけを目標にしていました。この状況は高校に入っても変わりませんでした。

 私が高校生だった当時、英語の授業はリーディング(読解)とグラマー(文法)、コンポジション(英作文)に分かれていました。

 あいかわらず「読解」中心の授業でしたが、内容的には一足飛びに難しくなった印象があり、一時期、英語がわからなくなりました。

 リーディングの教科書を開いても知らない単語だらけ。そのうえ、中学の頃よりも1文が長くなり、1つの文が3行から4行にまたがるものも。読んでいる途中で頭が混乱し、理解できなくなることがしばしばありました。

 正直、中学の頃とは比べものにならないくらい学ぶ量が増え、その多さに圧倒されていました。それまで田舎暮らしでのんびりしていた人が、いきなり都会に出て毎日残業をさせられている感じとでもいうのでしょうか。

 リーディングの授業では、新出単語や文法事項の説明が黒板に書かれ、それをノートに書き写していました。

 また、英文を一文一文日本語に訳すことも要求されたので、予習では英和辞書で単語を調べ、日本語の意味を活かして教科書の英文を1文ずつ日本語に訳すということが欠かせませんでした。

 単語の意味を生かし、文法に則って日本語に訳すことができれば、その文は理解していると見なされ、テストでもいい点をもらいました。

 逆に、訳した日本語がおかしいと理解していないと見なされました。これはまさに翻訳家が英文をきれいな日本文に訳していく作業です。今にして思うと、学校の授業は翻訳家の養成学校のようでした。

 大学入試の英語は長文読解問題が中心だったので、授業も自ずと大学入試に備えて日本語に訳すことが中心でした。
posted by 佐藤 at 07:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

教科書ガイドに全訳が載っていなかった理由

 高校の英語の授業を聞いてもついて行けず、テストでもがき苦しみ、当然のことながら成績が落ちていきました。これではまずいと本屋に行って、教科書に準拠した参考書や問題集を探しました。

 リーディングについては、とにかく英文を正確に訳すことが求められます。そこで教科書ガイド、俗に言う「トラの巻」なら全文の英訳が載っているだろうと藁にもすがる思いで手に取ったのですが、教科書の一部だけが解説してある不十分なものでした。

 それで仕方なく大学受験で使うような厚い文法書を買って中間期末試験に備えました。ただ、教科書でわからない箇所がピンポイントで解説してあるわけではないので、いつもあいまいな理解のままテストを受けることになり、苦戦していました。

 こんな私が英語教材を作る仕事に携わるようになり、何年かして高校1年の教科書ガイドを手がける機会に恵まれたのです。

 トラの巻だなんていったって、どうせ教科書の全文が解説してある訳じゃないんだろうと、あの頃苦労した自分を思い出しながら複雑な心境で執筆要項を確認して驚きました。なんとそこには、教科書の全文を訳す指示があったのです。

 そのときに初めて知ったことですが、その昔、教科書ガイドに教科書の全訳が載っていなかったのは、載せて欲しくないという学校の先生からの要望があったからだそうです。

 英語を生徒に訳させながら授業を進めるので、教科書ガイドに全訳が載せてあると生徒は自分で訳さずにそれを見て済ませてしまい、考える力がつかないと危惧したからだということです。

 私が高校生のとき、全訳の載った教科書ガイドがなかった理由がそのときようやくわかりました。

 この教科書と教科書ガイドの関係は、英文とその日本語訳という関係になります。

 私は中学でも高校でも、英語を読みながら日本語に訳し、その訳した日本語で内容を理解することに浸りきっていましたから、こんなに役立つものはないと思っていました。

 教科書ガイドで日本語訳を手に入れて、訳せるようにすることは中間期末テストでいい点を取るための効率的な手段だったのです。そして、そのテストでいい点を取ると、英語ができると言われていました。

 大学受験があり、長文読解中心の英語教育の中ではこれでいいのですが、学校を出て、例えば海外旅行で必要な会話だとか、会社に入ってメールを書くときに英語を使う人たちには、このやり方ではうまくいかない面が多々出てきます。
posted by 佐藤 at 07:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「問題を解く力=英語力」ではない

私は仕事で高校の模擬試験や英検の問題を作ることがあります。また、作るだけでなく自分自身も TOEIC など英語のテストを受けることもあります。

 テストですから問題を解いて、正解したとか間違ったとか結果が出ます。それで自分の英語力がどの程度のものなのか、測れることになっています。

 ところが、そう単純に測れるものでもないのです。出題形式によっては、英語力を測るにはあまり参考にならないものもあります。

 文の一部が空欄になっていて、その空欄に適切な語句を入れる空所補充問題などは、生徒の文法の知識を問うという点ではいい問題だと思いますが、問題を解く人の心がけ次第では、ただのクイズ問題になってしまいます。

 たとえば、次のような問題を例に挙げましょう。

 Where is the key (    ) was on the table yesterday?

 (A) which      (B) whose
 (C) it        (D) who

 訳は「昨日テーブルの上にあったカギはどこですか?」で、答えは(A)です。正解だった人も多いと思います。

 (  )の中に入れる正しい単語を選ぶことができたので、自分はこの文をきちんと理解し、ここで問われている文法事項(関係代名詞))も正しく使えると思っていませんか?

 ところが、(  )の中に正しい単語を入れられたというのは、4つの選択肢の中から(  )内に which が入ることがわかったというだけにすぎません。

 たとえばこの問題を解くとき、多くの人はまず、key を見て先行詞は「もの」だと判断し、この時点で who を除外します。

 (  )の後にすぐ動詞が来ているので、(  )に入る関係代名詞は主格だと判断し、結果として which (that があれば that も可能)だという結論に達します。ほかの単語など見なくてもできます。

 もっと極端なことを言ってしまえば、問題文を見る前に(A)〜(D)の選択肢を見れば、関係代名詞の問題だとだいたい予想できます。

 こうなると、問題文は正しい選択肢を絞り込むためのヒントでしかなくなってしまいます。

 果たしてこの思考のプロセスは、英語という外国語を話すプロセスでしょうか?


 もう1つ、今度は仮定法の問題を見てみましょう。

 If I had hurried then, I would (    ) the train.

 (A) catch      (B) have caught

 (C) had caught      (D) caught

 多くの人は初めに if を見て仮定法の問題ではないかと見当をつけ、次に had hurried とあるので仮定法過去完了だと判断します。

 そして次に主節は〈助動詞の過去形+ have +過去分詞形〉になるから have caught だと判断して(B)を選びます。

 あとは答え合わせに日本語訳の「もしそのとき急いでいたなら、電車に間に合っただろうに」を読んで意味を確認して、理解したと思います。

 あるいは教える側も(B)を選べば、あなたは仮定法を理解しているとして丸を与えます。

 これは( )に have caught が入ることがわかり、意味を日本語で理解したというだけです。

 この類の問題を1000問解いたとして、上のようなプロセスで答えを導いたとしたら、何問正解しても、英語が話せたり聞けたり書けたりすることはできません。

 たとえば英語を母国語としているアメリカ人やオーストラリア人が同じ問題をすれば(  )に正しい答えを入れることができます。

 ただ、彼らはその英文を言うことも書くこともできることが前提にあります。私たちの頭の中には英語そのものがないのです。これが日本人と決定的に異なるところです。

 多くの日本人は(  )に正解を入れると「あなたは正しい」と言われ、言われたほうは「私は関係代名詞や仮定法がわかる」と信じ込みます。

 ところがその問題の英文を書くことも言うこともできない人がほとんどです。日本人とアメリカ人が同じ正解をしても、その正解には天と地ほどの差があるのです。

 たしかに、受験者が文法やイディオムの知識をどの程度持っているか測るためにはいい出題形式といえるでしょう。

 また、何万人もいる受験者の答えを採点するとき、(A)とか(C)とか記号だけを見て採点できる効率のよい問題でもあります。各種の入学試験だけではなく、英検やTOEICなどの検定試験でも導入されています。

 ただ、これはあくまで「知識」として文法を理解しているか測るだけで、その文法事項を含む英文を会話(リスニングとスピーキング)や英作文(ライティング)などで使える力があるかどうかは、測ることはできません。

 テスト問題にうまく対応できたというだけのことです。

 本当に英会話やEメールなどで使おうと思うなら、正しい答えを入れた

 Where is the key which was on the table yesterday?

 を丸ごと頭の中に蓄えておいて、必要に応じてスラスラと出せるようにすることです。

 あるいは「あの時急いでいたら、電車に間に合ったのに」と言いたいときに、先ほどの文を見ないでいつでも言ったり書いたりできるようにすることで、その仮定法を含む文を会話で使えるようになります。

 文法の問題をするとき、会話やライティングを想定していないからこのようなことが起こるのです。

 私たちは英語を点のイメージでとらえがちなところがあります。空所補充問題もそうですが、(  )の中に正しい英語を入れられたからといって、それだけでは何の役にも立ちません。

 英語を話したり書いたりするということは、頭の中に膨大な英文やフレーズをストックしておいて、いざというときに取り出して使うということです。

 英語を線のイメージでとらえ、1文を覚えて初めて文法が会話やEメールに生きてくるのです。

 ただここで問題になるのが、今の市販されているTOEICなどの文法問題の英文を覚えていいかということです。

 多くの教材は英語を縦のイメージでとらえているので、難しい英文(日本語に訳さないと理解でいないような英文)で文法問題を作りがちです。

 そうではなく英語を英語のまま理解できる簡単な英文で書かれた本が有効だと思います。

 そうは言っても受講生の中には英語にまったく興味がなく、ただ会社の方針でTOEICテストを受ける羽目に陥っている人もいます。

 この人たちは業務で英語を使うわけでなく、本当にテストに答えられればいい人たちです。そういう人たちは(  )に入る適切な語を正しく選べればOKです。目的は達成できているのですから。
posted by 佐藤 at 06:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本語の能力を問う「下線部和訳問題」

 前述の空欄補充問題と同じくらい、私の学生時代の英語テストでは定番だった出題形式に、英文の一部を和訳する「下線部和訳問題」がありました。

 私が大学受験をした時のテストでも下線部の英文を和訳したのを覚えています。たいていは難しい単語や構文を含む箇所に下線が引かれていて、一筋縄ではいかなかったと記憶しています。

 下線部和訳問題は、受験生が訳した日本語から、この人は英語の構文を理解し、単語の意味がわかり、時制などもしっかり把握しているかを日本語の訳から判断します。

 ただ冷静に考えてみると、受験生は下線部の英語を意味の通る日本語で書き表わし、採点者はその日本語を見て正しいとか間違っているとか判断します。

 つまり英語を使っているような気になっていますが、お互い日本語でコミュニケーションをとっているのです。

 たとえば採点者が英語を母国語とするアメリカ人やイギリス人ならこの関係は成立しません。日本人同士だからできる問題です。

 英語でコミュニケーションをとるとは、日本語に訳して日本人にわかってもらうことではなく、日本語のわからない相手と、英語でわかり合うことなのです
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英作文の能力を測るのに便利な語順整序問題

 英語を正しく書く能力を測るために、語順整序問題をよく作ります。Part1でも述べましたが、ふつうに和文英訳問題にすると、答えがいくつも出てきます。

 そうすると自宅学習やマークシート方式の問題には向かないので、そういう時に役立ちます。


 「健康を増進するために3度の食事を定期的に食べてください。」

 Eat (to /at / order / regular times / improve / in / three meals) your health.

 解答は

 Eat three meals at regular times in order to improve your health.

 
 となります。日本語を頼りにして、eat three meals、at regular times、improve your healthと、意味のまとまりごとに組み立てていく人が多いと思います。

 あとは「in oder toは『〜にするために』と目的を表し、to不定詞のあとには動詞の原形が来るのでimproveがくるな」などと、文法の知識を駆使して仕上げます。

 ではこの問題を作る執筆者の側はどうでしょうか?いろいろなことを考えますが、まずin order to 〜が文頭にきても英語として正しいので、your healthを(  )の外に出し文尾に置きます。

 そうすることでin order toが文頭に来ることはなくなります。またinとorderとtoをバラバラに配置することで、toが前置詞のtoなのか不定詞のtoなのか判断してもらうことも考えています。

 これがもしただの和文英訳だったら、at regular timesの代わりにregularly、improveの代わりにenhance、eat three meals at regular timesの代わりにeat three regular mealsなども正解になります。

 また、Be sure to eat 〜で始めてもいいと思いますし、もちろんIn order to 〜で始めていもいいし、in order to improve〜の代わりに単にto improveでもいいだろうし、so that we will[can] improve〜でもいいかなと思います。

 言い出したらキリがありません。会話として考えたら、Eat three meals for your health.だけでも自分の言いたいことは十分伝わると思います。

 これだけ正解の候補が出てくると、さすがにマークシート方式のように答えを1つにするテスト形式には向きません。

 逆に言うと、語順整序問題にするとマークシート方式のテストで英作文の能力をかろうじて測れるのかなあという感じです。

 ただ、この語順整序問題ではスペルを正しく覚えているのか見ることができませんし、正しく発音しているかもわかりません。もちろんこれに正解したからといってこの文を言えたり書けたりするのかもわかりません。

 この同じ内容のことを、日本語訳も、並べ替える単語のピースもまったく何一つ提示されない状態で、あなたは英語で言うことができますか?

 もし4技能の向上を目指すのであれば、この1文を丸まる音読したり紙に書いたりして覚えて、この内容を表現したいときにすぐに取り出せて使えることを目標にしましょう
posted by 佐藤 at 06:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

その他の問題形式

 和文英訳問題は、英文和訳問題の逆バージョンで、英単語の意味を日本語で覚えていることが前提の問題で、半分日本語で半分英語の英語です。

 執筆サイドは、中学レベルなら答えが複数出ないよう作ります。理想は答えが1つです。まったく異なる2つの言語があたかも1対1で対応しているかのような錯覚を与えがちです。

 長文読解の英問英答問題はいい問題だと思いますが、受験者が英単語の意味を日本語でもっていて、日本語に変換して頭の中で考えているとしたら、やはり翻訳しているのと同じだと思います。

 頭の中では、日本語に変換した本文の内容と、日本語に変換した質問文の内容を照らし合して日本語で判断します。

 英語が頭の中に残りづらく、4技能を身につけることができないと思います。半分英語で半分日本語の人造人間キカイダーのような英語が強化されます。
posted by 佐藤 at 06:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月25日

文法用語をやさしい日本語で

 2001年の新学習指導要領で、英語を聞く、話すことにもっと重点を置く方針が打ち出されました。

 当時私も準拠版ドリルの執筆にあたって、文法用語をあまり使わないようにと言われたことを覚えています。

 英語を聞いたり話したりすることと、文法用語を知っていることはあまり関係がなく、堅苦しい文法用語の使用がかえって生徒のやる気をそぐということのようです。

 私(昭和40年生まれ)の頃とは違い、現在の中学の教科書では不定詞、受動態、比較級などの文法用語は使われていません。

 私が学生の頃は、『不定詞は〈to+動詞の原形〉で、大きく「〜すること」という意味の名詞的用法と、「〜するための、〜するべき」という形容詞的用法、「〜するために、〜して」という副詞的用法の3つある』と教えられました。

 現在の中学の教科書は、それぞれの出版社の方針でまちまちですが不定詞を説明するとき『「〜すること」、「〜するための、〜するべき」、「〜するために、〜して」という意味を表すとき、<to+動詞の原形>を使う』のように、「不定詞」や「名詞的用法」などの言葉を使わず説明している教科書が多く見受けられます。

 そして、巻末に文法を簡略化して説明し、「不定詞」や「〜用法」などの文法用語を載せているところもあります。

 そのほかの文法用語は、たとえば、

 「比較級」 → 「2つのものを比べる」

 「疑問文」 → 「たずねる文」

 などに書き換えていたり、「進行形」や「助動詞」、「命令文」などの文法用語の使用は避け、ただ「〜している」や「〜できる」、「〜しなさい」などの日本語で説明されています。


 当初は「動詞の原形」も「動詞のもとの形」と書き直した覚えがあります。ただし現在は、「動詞の原形」にもどったようです。

 平易な日本語で文法を説明することは、例えば「きれいだ」という日本語をいきなりこれは形容動詞だと言われるのと同じで、「to+動詞の原形は不定詞だ」と言われることで、とっつきにくくて難しいという印象を持つ人もいるでしょう。

 また、お役所言葉や法律用語など、言葉が人を拒絶しているような印象を受けます。

 文法用語が英語への敷居を高くしているのなら、やさしい印象を持つ言葉に言い換えて、抵抗感を和らげるのはいいと思います。

 中学の教科書は、すでに文法用語を極力使用しない方向で書かれています。

 ただ、本質はそこにはないと私自身は思っています。
posted by 佐藤 at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ文法が機能不全を起こすのか?

 たとえば不定詞を説明するとき、

 I like to play the piano.

 は、to play the piano とあるので「ピアノを弾くこと」、そのことが「好き」と頭の中で日本語に変換し、変換した日本語で意味をとります。

 不定詞が典型的な例だと思いますが、ほとんどの文法事項に日本語訳がついていて、日本語に訳すように教えているかのようです。英文法が英語から日本語に変換するときのルールになっているのです。

< be動詞+〜ing > の進行形が出てきたら「〜している」,

< be動詞+過去分詞 >の受け身には「〜される」,

過去形には「〜した(しました)」,

will や be going to の未来には「〜しているだろう」「〜するつもり」、

<will + be + 〜ing >の未来進行形には「〜しているだろう」、

< was [were] + 〜ing >には「〜していた」、

< have+過去分詞 > の現在完了には「〜したところだ」,「〜したことがある」,「ずっと〜している」

などなど、

その文法事項が出てきたら、自動的に日本語に変換されるように日本語と共に覚えます

 考えてみれば学校では日本語に翻訳するように英語を教えているので、文法の説明も翻訳に役立つように日本語を添えて教えることは、当然と言えば当然です

 翻訳としては英文法はうまく機能しているといえます。

 ところが日本語に変換するように教えることで、リーディングやリスニングがうまく機能しなくなるのです。
posted by 佐藤 at 18:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

リスニングやリーディングで文法はうまく機能しているか

 再三述べているとおり、ほとんどの日本人は英単語の意味を日本語で覚えています。

 さらに今見てきたように、文法が日本語に訳すように教えられているので、英語を読んだり聞いたりすると、即、日本語に自動変換され、文法を使って正しい日本語に整え、その日本語で内容を理解していきます。

 そして日本語で内容を理解したら、その英語を自分はわかったと思ってしまい、それ以上のことはしません。日本の英語の授業でも、日本語に訳して内容が取れれば、あなたは英語を理解しているというお墨付きを与えます。ここに問題があるのです。

 英語を読んだり聞いたりすることの役割は内容を理解するだけではないのです。

 以前述べたとおり、英語を読んだり聞いたりする行為は、内容を理解するとともに英語そのものが蓄積されていくプロセスなのです。

 そしてその頭の中に残った英語を利用して、話したり書いたりして、言葉を積極的に発していくのです。

 私たち日本人は、英語を読んでも聞いても、その英語を日本語に変換して内容を理解することに必死で、頭の中には変換した日本語だけが残っているといっても過言ではないです。

 つまり英単語の意味を日本語で覚えることで英語を日本語とリンクさせ、英語から日本語に変換するように文法を学ぶことで、英語そのものが頭の中に蓄積されず、話すことも書くこともできなくなるのです。

 本来、どんな言語の文法でも、その言語そのもののルールであって、別の言語に変換するときのルールではないはずなのです

 文法を学ぶことは不要だと言う人がいますが、日本では翻訳するときにはとてもよく機能しているのです。

 今の時代は、英語で会話(リスニングとリーディング)をすることが求められています。文法も会話でうまく機能するように教えることが求められていると思うのです。

 以下に、不定詞を使って、日本語訳を添えずに説明してみましょう。

 I like chocolate.

この文はチョコレートが好きという文です。likeのあとに好きなものであるchocolateがきます。

 では「ある動作をすることが好き」という場合はどうでしょうか?

 「ピアノを弾くのが好き」という場合、「チョコレートが好き」と同じように、likeのあとに動作を表すplay the pianoがきます。このとき、to playかplayingにします。

 I like to play the piano [playing the piano].

 これだけでいいのではないでしょうか?「〜すること」という日本語の意味をつける必要はないのです。
posted by 佐藤 at 18:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

時制を日本語訳なしで説明してみる

 I played the piano yesterday.

 中学生の教材で過去時制の説明を書くとき、執筆者である私は、「〜しました」と過去のことを表す時に played と動詞の語尾に ed をつけます。

 と、当たり前のように「〜しました」という日本語を添えます。ところがこれを読んだ中学生は、played the piano を読んだり聞いたりすると、「ピアノを弾きました」と頭の中で日本語に変換します。

 これを日本語訳なしで「昨日や一週間前の過去のことを表す時、動詞に -(e)d をつけます」とだけ説明してはどうでしょうか? なぜ「〜しました」という日本語を添える必要があるのでしょうか?

  I am studying English now.

 「今やっていることを表すときには、be動詞+動詞の -ing 形にします」。

 「〜している」という日本語を添えると、be doing と「〜している」が1対1で対応しているかのように錯覚してしまいます

 It will be cloudy tomorrow.

 明日や来週など未来ことを言うときには will を動詞の前に置いて使います。will のあとには動詞の原形がきます。

 「〜だろう」という日本語訳を添えると、頭の中で「曇るだろう」と日本語に変換するように促してしまうのです。


 特に英語を勉強し始める中学の頃に、1つ1つの文法事項に日本語訳を添えて説明すると、日本語と英語が1対1で対応しているかのような感覚を植え付けられてしまいます

 英語と日本語は異なる言語で、本来別々に存在しています単語も文法も日本語とはまったく異なる英語を日本語のルールの中で処理しようとするから矛盾が生じるのです。

 この状況を打開するには、日本語は補助輪だという意識をもつことです。そして、どうしても理解できないとき、やむなく日本語の助けを借りて理解するというスタンスで日本語を利用することです。

 できることなら日本語の助けを借りずに理解したいという思いが必要です
posted by 佐藤 at 13:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

向こうの子どもだって英語を話しているのに

 子どもの英語と言うと、よくアメリカの子どもですら英語をペラペラ話せるというのに、なぜ自分はできないのだろうという人がいます。

 アメリカの子どもと言うとき、おそらく5〜6歳くらいの子どもを想定している人が多いと思います。

 どこの国の子どもでも、確かに、友だち同士や大人ともうまくコミュニケーションをとっているように見えます。それは日本人の子どもも同じですね。

 しかし冷静に考えてみると、5〜6歳の子どもは政治や経済、教育、芸術、近所や会社の人間関係のことを話したりしませんし、自分の中の複雑な心の動きを表現することだってできません。

 「今日、だれそれさんとどこそこで遊んだ」とか、「だれそれさんがぶった」とか「お兄ちゃんばっかり〜してずるい」とか、自分の周りの狭い世界で起こる出来事を平易な英語で言っているにすぎないのです。

 それに対して大人はいろいろなことを考え、いろいろなことを表現しています。政治、経済はもとより、学校で習う数学や生物、化学、歴史、地理のことを話すこともできます。

 音楽や絵画、映画のことを友達と話し合うこともできます。

 仕事を持っている人ならビジネスの場面で取引先とコミュニケーションをとったり、役所で手続きをしたり、自分の健康状態を医者に説明したり、ホテルに電話して予約したり、駅でチケットを買ったりと、とにかくありとあらゆることを表現しています。

 私たちが英語を使えるようになりたいと言ったとき、これらすべてを英語で表現できることをイメージしている人が多いのではないでしょうか?

 その量は膨大で、あるいは無限大と言っても過言ではありません。これは子どもを取り巻く世界とは比べものになりません。
posted by 佐藤 at 11:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「日本語ができなくなる」とはどういうことか

 「小学校から英語を習うと日本語ができなくなる」と日本語の劣化を憂いている人がいます。

 日本語習得にかける時間を英語の習得に割くので、日本語がどんどん劣ってくることを指していると思います。

 ただその前に、日本語ができるとか、できないというのはどういうことなのでしょうか? 日本語の文章をうまく書ける人が、日本語ができる人ということなのでしょうか?

 あるいはテレビなどで活躍しているお笑い芸人のように、大勢を笑わす話芸がある人を日本語ができる人と呼ぶのか、宗教家やカウンセラーのように、人を癒す言葉を話し、悩める人を救う人が、日本語ができる人なのか?

 弁護士のように法律用語を駆使して理論的に物事を話す人が、日本語ができる人ということなのでしょうか?

 何か日本語ができるというとき、大学教授やジャーナリストなど、政治や経済など難しい話題を話したり書いたりする人、あるいは小説家のように書き言葉に長けている人が、日本語ができるという幻想があるように思います。

 ところが小説家の中には話すことが苦手な人もいますし、弁の立つ人でも普段の日常的な出来事を話すと、あまりおもしろくない人もいます。

 言葉ができるとかできないとかはどういうことなのか、考えてみる必要がありそうです。

そして英語を学習するときも、どこを目指しているのかちょっと立ち止まって考えてみてはどうでしょうか? 外人とペラペラしゃべる自分をイメージするのか、洋書をスラスラと読む自分をイメージするのか、facebookでカチャカチャ英語を書く自分なのか?
posted by 佐藤 at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

「ネイティブチェック」はインディアンのチェックのこと?

 私が英語の仕事に携わって、はや幾年月が過ぎました。

 英語にもだいぶ精通してきたと自負してはいますが、それでも所詮は日本人。英語を母国語とする人には到底かないません。

 ですから、仕事で作成した英文は、かならず英語を母国語としている彼ら、ネイティブにチェックしてもらいます。

 英語を母国語としているネイティブに確認してもらうこの作業のことを、英語業界では「ネイティブチェックを頼む」と言います。

 業界でふつうに使われている言い方なので、英語を母国語としている人にも「ネイティブチェック」と言えば、当然通じるものだと私は思い込んでいました。

 ところが、彼らに「ネイティブチェック」の言葉を出すと、怪訝な顔をする人がいます。そして、自分はネイティブ・アメリカンではないと言うのです。

 英語を母国語とする人の中にはネイティブチェックと聞くと、西部劇のカーボーイと戦うインディアンが何かをチェックする、そんな情景を連想するようです。

 おそらく業界ではnative speaker of English「英語を母国語とする話し手」によるチェックを略して「ネイティブチェック」と言っていると思うのですが、彼らにはどうも奇異に聞こえるようです。

 ただ私自身は、ネイティブ、もしくはネイティブチェックという言葉を使い慣れているので、この本では「ネイティブチェック」で通そうと思います。

 なお、ここで載せる英文は、過去に行った仕事の英文や、私が個人的に修正してもらった英文をもとに作っていますが、過去の仕事に関する例文は差しさわりがあるかもしれないので書き換えてあります。
posted by 佐藤 at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ネイティブチェックは最終砦か?

 ネイティブチェックとは、私の作成した英語が正しいか正しくないか、ネイティブにも十分通じるか通じないかを添削してもらえる場でもあります。

 今までの経験や知識や辞書などを駆使して数々の制約を乗り越え、一生懸命つくった英語が、果たしてネイティブにはどう映るのか、私の意図していることはネイティブに通じているのかなど、緊張の瞬間です。

 と同時に、この仕事をしていていちばん楽しいところでもあります。

 英語の教材として英文を書くとき、やはり書籍になるのだから慎重に書かねばという気が働きます。

 ただ、どうしてもうまく表現できないところもあり、いろいろ悩むのですが、最終的にはネイティブチェックを通すのだから英語は完ぺきになると思っていました。心の担保のようなものです。

 ところが、このネイティブチェックがじつは曲者で、決して最終砦にならないのです。

 例えば、私が日本以外のどこかの国に住んでいて、現地の人が日本語の教材をつくりたいから、そこで扱う日本語をチェックしてほしいと頼まれたとしましょう。

 生まれたときから毎日使っている言葉なのですから、よほど専門的な内容の教材でないかぎり、それなりに確信をもってチェックできると思います。

 たとえば日本語での日常会話レベルの内容なら、日本語の文法はそれほど気にする必要はありません。

 こんな表現は言わないとか、不自然に聞こえる(ネイティブスピーカーの常套句)など、感覚的な判断でもいいでしょう。

 ところが文法書などの教育関係の出版物や専門書になると、日本語の文法の知識やその専門分野の知識や用語が身についていなければ正しくチェックすることはできません。

 みなさんのなかで、今、自分が使っている日本語が文法的に正しい日本語だと、何人の人が言い切れるでしょうか。

 英語の場合も日本語の場合とまったく同じです。結局はチェックを頼んだネイティブの経験とか知識、ボキャブラリーの範囲内で、正しいとか間違っていると判断しているに過ぎません

 だからネイティブによって、ある人は「おかしい。普通はこんな風に言わない」と判断しても、別の人は「これでも大丈夫」などという食い違いが生じるのです。
posted by 佐藤 at 11:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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