2013年08月29日

日本人が学んだ英語

 日本人はみな、中学生になると義務教育として英語を学び始めます。中間・期末テストがあるので、そこでいい点を取るために英語を勉強していました。

 そして高い点数を取れば英語ができると言われました。私が中学生の頃は、英語ができる人というのは、英語のテストの点がいい人だと思っていました。

 高校に入ってからは読解中心の授業になりました。英単語の意味を日本語で覚えて、英文を読んでは1行ずつ日本語に訳していきました。ノートにも日本語訳を書きました。

 高校3年になると、大学受験に備え、一気に難しい長文を読むことになりました。

 大学に進学するためには大学受験があり、理系でも文系でも英語が主要3科目の1つだったので、避けて通ることができない状況でした。

 その英語の問題が、長文読解問題を中心に作られていました。学校の授業で覚えた単語では、とても大学受験の長文を読むことができないので、『出る単』などで単語を覚えまくり、その覚えた英単語を駆使して長文をたくさん読んで受験に備えました。

 中学でいい成績をとれば偏差値の高い高校に入れ、偏差値の高い高校に入って大学受験でいい点を取れば、偏差値の高い大学に入ることができ、偏差値の高い大学に入れば、有名な大企業に就職でき、大企業に就職できれば高額の給料を安定してもらえ、いい配偶者と結婚し、立派な家庭を築き、幸せな人生を送ることができるという幻想があったからです。

 幸せイコールいい大学に入学することだったので、みんな必死に英語を勉強しました。英語が嫌いな人も嫌々勉強して、偏差値の高い大学を目指しました。

 つまり、私たち日本人(全員ではありませんが)が学生のころ英語を学ぶのは、将来いい会社に入り、幸せな人生を送れるという、社会的成功を目指してのものでした。

 当時、英語を話して世界の人と友達になりたいとか、英語を駆使して国際社会に貢献したいなどという人はほとんどいませんでした。

 そして6年間かけて英語を勉強するときの目標は、大学入試の特に長文問題でいい点を取ることでした。大学入試の問題が、長文の読解問題が中心だったからです。

 大学は偏差値でランク付けされているので、大学受験の英語の問題では難しい長文も読まされます。そうすることで受験生を選抜し、長文問題のできない人は英語のできない人と見なされ、振いにかけられました。

 そのため難しい英文に対応するよう「縦のイメージ」で英語を勉強します

 どういうことかと言うと、簡単な英文が読めたら、次にもう少し難しい英文、それがクリアできたらさらに難しい英文にトライしていきます。能力アップ、実力アップ、学力アップ、得点アップ、偏差値アップ、ついでに自信もアップと、上へ上へと目指します

 このため、当然のことながら英語を英語のまま読んでもその内容を理解できないので、英単語の意味を日本語で暗記し、英文を読んだ先から日本語に変換し、その変換した日本語で内容を理解するという回路を頭の中に作り上げました

 別の言い方をすると、日本語の助けを借りて英語を理解するということでもありました。半分英語で半分日本語の奇妙な英語でした。

 さて、そのとき英文法はどうなっていたのでしょうか? 繰り返しになりますが、私たちの頭の中では、どの英文を読んでも、読んだ先から英単語が日本語に自動変換されます。

 ただ、1語1語の単語を日本語に変えているだけなので、雑でバラバラな日本語になっています。これを正しい日本語に変換するために英文法を使うことになるのです

 つまり英文法が、読んだ英語を正しい日本語に変換するときのルールになってしまっているのです

 本来、その国の言葉の文法とは、言葉そのものを規定するルールであって、別の言葉に変換するときのルールではないのです


 典型例:不定詞

 to doは「〜すること」、「〜するための」、「〜するために」という意味です、と習います。このように覚えると


 I like to play the piano.


 は、to play the pianoとあるので「ピアノを弾くこと」、そのことが「好き」と日本語で認識し、日本語に自動変換していきます。

 すべてではありませんが、ほとんどの英文法が日本語に訳すように教えています

 考えてみれば、日本語に変換して意味をとるように英語を教えているので、文法の説明も日本語に変換するように教えることは、当然と言えば当然です


〈対策〉

 I like chocolate.


 この文は、チョコレートが好きという文ですが、「ある動作をすることが好き」という場合、「チョコレートが好き」というのと同じように、この chocolate の代わりに、to do か doing にする、というだけで済む話だと思います。

 chocolate の代わりに、like の後ろに to play the piano か playing the piano にすればいいのです。

 この自動翻訳回路の欠点は、まず英語を点で覚えることです。英単語を覚えるとき、正しいスペルと日本語の意味を覚えます。

 そして読んだ先から日本語に変換して、変換した日本語で意味を取ります。頭の中には半分日本語の英単語が1つ1つバラバラに残っています。長文読解に適した単語の覚え方です。

 これが会話では問題になります。この半分日本語の英単語を使って何か英語で言おうというとき、まず伝えたいものが日本語で浮かび、その日本語を意味の近い英単語に変換していきます

 そして、それを英文法というルールに則って文法的に正しい英語に作り上げています。日本語をベースにして英語を作っていきます。

 日本人が英語を話すときによく間が空きますが、1語1語変換して、文法に則って組み立てるのに時間がかかるからです。

 特に英語を話そうと思った時、逐一日本語を英語に変換しているので、英語を母国語としている人たちには、ぎこちなく聞こえる英語が多々あります。

 本来、英語は点のイメージではなく、線のイメージや流れのイメージでとらえるのが、特に会話では有効になります

 もう1つの欠点は、英語が頭の中に蓄積されていかないことです。あるいは蓄積しようという気がないことです。

 たとえば、日本語で考えてみるとよくわかると思います。赤ん坊が言葉を覚える過程を想像してください。

 赤ん坊は親の言うことを聞いて、その聞いたことを頭の中に蓄積させていきます。そして、その蓄積した日本語を少しずつ発していきます。

 初めはカタコトの日本語ですが、そのうちもっとたくさん日本語を聞いて、頭の中に蓄積し、もっと長い日本語が言えるようになってきます。

 また、読書の好きな人は、たくさん本を読んでいるので、話すときにも書くときにも表現が豊かです。読書を通じてたくさんの日本語が頭の中に蓄積されているからです。

 ところが私たち日本人の英語は、英単語の意味を日本語で覚えているので、何を読んでも何を聞いても、頭の中で英語が日本語に自動変換されます

 そして、変換された日本語で内容を理解して、その読んだり聞いたりした英語を「わかった」としています。

 本来、英語を読んだり(リーディング)、聞いたり(リスニング)すれば、その英語が少しずつ頭の中に蓄積されていくのですが、日本語に訳して内容を理解して終わりですから、文の単位の英語が全くと言っていいほど頭の中に蓄積されていきません

 その結果、英語を話したり書いたりしようと思っても出てこないのです。

 それが証拠に英文を読んで、何が書いてあった? と尋ねられても、日本語で応えてしまいます。

 頭の中には今さっき読んだ英語ではなく、変換した日本語が残っているからです。つまりリスニングとリーディングが機能不全を起こしているということなのです。

 英語が話せないのは、頭の中に英語がないからです。ない袖は振れないのです。ない英語は話せないし、書けないのです。
posted by 佐藤 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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