2013年08月29日

学校で英会話を習っていない

日本人は英語ができないと言われています。

 それが原因なのか、今や英語教材は飽和状態で、本屋の英語コーナーに足を向けると、夜空にきらめく無数の星のごとく英語関連本がところ狭しと置かれています。

 リスニング、TOEIC、英会話、Eメール、ビジネス英語、英検などなど、いったいどの本を選べばいいのか、その場に立ち尽くして途方に暮れてしまうほどです。

 これほどの英語教材が巷に溢れ、中学・高校では必修5教科のなかのひとつとして6年間勉強しているにもかかわらず、多くの人は一向に話すことができません。

 まるで日本人が語学に対して無能であるかのように自虐をこめて言う人もいますが、でもそれは本当でしょうか。

 最近、英語を社内の公用語する企業も目立ち始めました。

 英語を離れて何十年も経って、突然TOEICで600点以上取るように言われる30代から50代くらい、ちょうど私もこの年代なのですが、この年齢層の学生時代の英語学習を思い返してみると、英文読解と文法中心で、外国人相手に英語を話したことなど1度もありませんでした。

 ではなぜ私たちは英文読解中心の授業を学校で受けたのでしょうか。

 実は、終戦直後や東京オリンピック、大阪万博のときに日本では英語ブームが起こり、英会話本がよく売れたそうです。ところが英会話が義務教育の一環として学ばれることは今に至るまでありません。

 なぜでしょうか。なぜ私たちは英文読解中心の授業を受けることになったのでしょうか。日本人は英語ができない民族なでしょうか?

 ここで言う英語とは英会話(リスニング・スピーキング)のことです。

 答えは「いいえ」です。

 特に私たちの世代が英会話ができないのは、単に学校で習わなかったからです。

 では英会話ではなく、受験英語という特殊な英語ではどうかと考えると、日本人は英語が「できる」と答えて差し支えないでしょう。英語から日本語への翻訳も「できる」範疇に入ると言えます。

 しかし英会話やライティングに関しては「できない」と答えざるを得ません。

 というよりも、「できない」と判定する以前に、私たちは英会話もライティングも授業として何も受けていないに等しいのです

 ライティングは英作文という名目で申し訳ない程度に受けました。英会話もスピーキングは全くしませんでしたが、リスニングはテープを少し聞いた記憶があります。

 英語という大きなくくりでは確かに6年間授業を受けていますが、4技能(リスニング・スピーキング・リーディング・ライティング)を個別に見てみると、読解(英文を読んで日本語に訳す)の授業だけを受けたといっても過言ではありません

 偏った英語教育を受けたのです。

 今回、私たちが受けてきたこの英語教育を、執筆者や講師、あるいは元学生の立場から可能な限り客観的に見ることに努めました。

 そして客観視することで、私たちが当然だと思っている諸々の事柄(呪縛)から解き放たれることが、一番効率的な英語習得法になるだろうと思い始めました

 私たちは英語教育と称して何を施され、その結果として何を得て、何は欠落しているのか、これから考えていきたいと思います。
posted by 佐藤 at 22:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日本人が学んだ英語

 日本人はみな、中学生になると義務教育として英語を学び始めます。中間・期末テストがあるので、そこでいい点を取るために英語を勉強していました。

 そして高い点数を取れば英語ができると言われました。私が中学生の頃は、英語ができる人というのは、英語のテストの点がいい人だと思っていました。

 高校に入ってからは読解中心の授業になりました。英単語の意味を日本語で覚えて、英文を読んでは1行ずつ日本語に訳していきました。ノートにも日本語訳を書きました。

 高校3年になると、大学受験に備え、一気に難しい長文を読むことになりました。

 大学に進学するためには大学受験があり、理系でも文系でも英語が主要3科目の1つだったので、避けて通ることができない状況でした。

 その英語の問題が、長文読解問題を中心に作られていました。学校の授業で覚えた単語では、とても大学受験の長文を読むことができないので、『出る単』などで単語を覚えまくり、その覚えた英単語を駆使して長文をたくさん読んで受験に備えました。

 中学でいい成績をとれば偏差値の高い高校に入れ、偏差値の高い高校に入って大学受験でいい点を取れば、偏差値の高い大学に入ることができ、偏差値の高い大学に入れば、有名な大企業に就職でき、大企業に就職できれば高額の給料を安定してもらえ、いい配偶者と結婚し、立派な家庭を築き、幸せな人生を送ることができるという幻想があったからです。

 幸せイコールいい大学に入学することだったので、みんな必死に英語を勉強しました。英語が嫌いな人も嫌々勉強して、偏差値の高い大学を目指しました。

 つまり、私たち日本人(全員ではありませんが)が学生のころ英語を学ぶのは、将来いい会社に入り、幸せな人生を送れるという、社会的成功を目指してのものでした。

 当時、英語を話して世界の人と友達になりたいとか、英語を駆使して国際社会に貢献したいなどという人はほとんどいませんでした。

 そして6年間かけて英語を勉強するときの目標は、大学入試の特に長文問題でいい点を取ることでした。大学入試の問題が、長文の読解問題が中心だったからです。

 大学は偏差値でランク付けされているので、大学受験の英語の問題では難しい長文も読まされます。そうすることで受験生を選抜し、長文問題のできない人は英語のできない人と見なされ、振いにかけられました。

 そのため難しい英文に対応するよう「縦のイメージ」で英語を勉強します

 どういうことかと言うと、簡単な英文が読めたら、次にもう少し難しい英文、それがクリアできたらさらに難しい英文にトライしていきます。能力アップ、実力アップ、学力アップ、得点アップ、偏差値アップ、ついでに自信もアップと、上へ上へと目指します

 このため、当然のことながら英語を英語のまま読んでもその内容を理解できないので、英単語の意味を日本語で暗記し、英文を読んだ先から日本語に変換し、その変換した日本語で内容を理解するという回路を頭の中に作り上げました

 別の言い方をすると、日本語の助けを借りて英語を理解するということでもありました。半分英語で半分日本語の奇妙な英語でした。

 さて、そのとき英文法はどうなっていたのでしょうか? 繰り返しになりますが、私たちの頭の中では、どの英文を読んでも、読んだ先から英単語が日本語に自動変換されます。

 ただ、1語1語の単語を日本語に変えているだけなので、雑でバラバラな日本語になっています。これを正しい日本語に変換するために英文法を使うことになるのです

 つまり英文法が、読んだ英語を正しい日本語に変換するときのルールになってしまっているのです

 本来、その国の言葉の文法とは、言葉そのものを規定するルールであって、別の言葉に変換するときのルールではないのです


 典型例:不定詞

 to doは「〜すること」、「〜するための」、「〜するために」という意味です、と習います。このように覚えると


 I like to play the piano.


 は、to play the pianoとあるので「ピアノを弾くこと」、そのことが「好き」と日本語で認識し、日本語に自動変換していきます。

 すべてではありませんが、ほとんどの英文法が日本語に訳すように教えています

 考えてみれば、日本語に変換して意味をとるように英語を教えているので、文法の説明も日本語に変換するように教えることは、当然と言えば当然です


〈対策〉

 I like chocolate.


 この文は、チョコレートが好きという文ですが、「ある動作をすることが好き」という場合、「チョコレートが好き」というのと同じように、この chocolate の代わりに、to do か doing にする、というだけで済む話だと思います。

 chocolate の代わりに、like の後ろに to play the piano か playing the piano にすればいいのです。

 この自動翻訳回路の欠点は、まず英語を点で覚えることです。英単語を覚えるとき、正しいスペルと日本語の意味を覚えます。

 そして読んだ先から日本語に変換して、変換した日本語で意味を取ります。頭の中には半分日本語の英単語が1つ1つバラバラに残っています。長文読解に適した単語の覚え方です。

 これが会話では問題になります。この半分日本語の英単語を使って何か英語で言おうというとき、まず伝えたいものが日本語で浮かび、その日本語を意味の近い英単語に変換していきます

 そして、それを英文法というルールに則って文法的に正しい英語に作り上げています。日本語をベースにして英語を作っていきます。

 日本人が英語を話すときによく間が空きますが、1語1語変換して、文法に則って組み立てるのに時間がかかるからです。

 特に英語を話そうと思った時、逐一日本語を英語に変換しているので、英語を母国語としている人たちには、ぎこちなく聞こえる英語が多々あります。

 本来、英語は点のイメージではなく、線のイメージや流れのイメージでとらえるのが、特に会話では有効になります

 もう1つの欠点は、英語が頭の中に蓄積されていかないことです。あるいは蓄積しようという気がないことです。

 たとえば、日本語で考えてみるとよくわかると思います。赤ん坊が言葉を覚える過程を想像してください。

 赤ん坊は親の言うことを聞いて、その聞いたことを頭の中に蓄積させていきます。そして、その蓄積した日本語を少しずつ発していきます。

 初めはカタコトの日本語ですが、そのうちもっとたくさん日本語を聞いて、頭の中に蓄積し、もっと長い日本語が言えるようになってきます。

 また、読書の好きな人は、たくさん本を読んでいるので、話すときにも書くときにも表現が豊かです。読書を通じてたくさんの日本語が頭の中に蓄積されているからです。

 ところが私たち日本人の英語は、英単語の意味を日本語で覚えているので、何を読んでも何を聞いても、頭の中で英語が日本語に自動変換されます

 そして、変換された日本語で内容を理解して、その読んだり聞いたりした英語を「わかった」としています。

 本来、英語を読んだり(リーディング)、聞いたり(リスニング)すれば、その英語が少しずつ頭の中に蓄積されていくのですが、日本語に訳して内容を理解して終わりですから、文の単位の英語が全くと言っていいほど頭の中に蓄積されていきません

 その結果、英語を話したり書いたりしようと思っても出てこないのです。

 それが証拠に英文を読んで、何が書いてあった? と尋ねられても、日本語で応えてしまいます。

 頭の中には今さっき読んだ英語ではなく、変換した日本語が残っているからです。つまりリスニングとリーディングが機能不全を起こしているということなのです。

 英語が話せないのは、頭の中に英語がないからです。ない袖は振れないのです。ない英語は話せないし、書けないのです。
posted by 佐藤 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戦後、動機なき英語がさ迷う。

 15年以上前、塾で英語を教えていたときのことです。

 英語ができないと自他ともに認めていた生徒から、どうして自分は英語が嫌いなのに勉強しなければいけないのか、と尋ねられたことがありました。

 学校の科目になっているから、という答え方では「なんで学校の科目になっているの?」と返されるのは容易に想像できます。

 そこで、海外旅行のとき便利だとか、洋画が字幕なしで見られるとか、英語の成績がいいと受験のときに有利だとか、いろいろな国の人とコミュニケーションがとれて世界が広がるよ、と答えました。

 すると彼は、自分は海外旅行なんか行かないし、洋画だって字幕で十分だし、もちろん洋書なんか読まないし、外国人の友だちもいらない、いい高校にも行きたくないし、人生の修行はほかにもあると言うのです。

 そのあと、どう答えたかははっきりと覚えてないのですが、この問いかけ自体はずっと私の心に引っかかっていていました。なぜ私たちは英語を学ぶのでしょうか?

 外国語を学ぶ動機は諸々ありますが、私自身は大きく2つあると思っています。

 ひとつは個人が興味や関心から自発的に学ぶ場合

 例えばフランス映画が好きだからフランス語を学ぶとか、韓流スターが好きだから韓国語を学ぶということです。完全にその人の好みで、好きな言葉を選び、好きなように学びます。楽しく学べると思います。

 もう1つは国が義務教育として母国語以外の言葉を国民に学ばせたり、企業が会社の方針として社員に学ばせるなど、自分以外の組織の要請で学ぶ場合です。

 国なら税金を使って義務として学校で国民に学ばせます。企業なら査定の対象や海外派遣要員とするために従業員に外国語(主に英語)を学ばせています。

 多くの場合、後者の理由からやむを得ず外国語を学んでいる人のほうが、自ら率先して外国語を学ぶ人よりもはるかに多いのが現状でしょう。

 実際、この本を手にとってくださった方のほとんどは、後者側の方だろうと思います。

 ここで、日本という国はなぜ国民に、フランス語やイタリア語ではなく英語を学ばせるのでしょうか?

 英語の学習が本格的に始まったのは明治時代です。日本が「富国強兵」をスローガンに自ら産業を興そうと「殖産興業政策」をとります。

 そのとき西欧諸国をモデルにしますが、当時、産業革命を起こし、先進的な科学技術に関する知識を豊富に有し、また海軍が世界を席巻し、世界中に植民地をつくっていったイギリスの言葉である英語を学びました。

 西欧諸国と対等に渡り合おうとして英語を本格的に学び始めました。

 戦時中は敵国語として忌み嫌う時期もありましたが、1945年の無条件降伏後は占領軍とコミュニケーションをとるために、また国際社会の一員となるべく英語を学びました。

 ところがその後、占領軍は引き上げ、日本は平和憲法とアメリカの核の傘の下、世界に何かを主張することもなく、経済のことに専念できたので、英語を学ばなければという切実な状況はなくなりました

 もし動機があるとすれば、大学は人材の養成機関で、戦後は特に教員(小中高大の先生)や官僚、医者やなど、主に公共性の強い職業の人たちを養成していました。

 この職業の人たちは4技能を伴う英語よりも手っ取り早く日本語の手助けを借りながら、関連資料を読む翻訳の技能が必要だったからだと思います

 ただ、日本人全体で見たら、とくに昭和から現在まで、いわゆるサラリーマンと呼ばれる会社勤めの人たちが多く出現し、このサラリーマンにとっては長文読解も会話も関係のない人がほとんどでした。

 英語は多くの日本人にとって「身につけなければならないもの」という切実な動機のないまま、ふらふらとさ迷ったのではないでしょうか?

 中国文化を取り入れるために漢字を学ぶとか、西洋医学を学ぶためにオランダ語を身につけるとか、明確な動機が見えてこないのです。

 ふらふらとさ迷っていた時期に、日本は高度経済成長期に突入します。この右肩上がりの経済成長の時期に、池田首相が「所得倍増計画」と「持ち家政策」を掲げます。

 そしてこれらのスローガンの下、男たるもの「家を建ててこそ一人前」という価値観が生まれました。家を建てるためには、お給料をたくさんもらわなければなりません。

 お給料をたくさんもらうためには、一流企業や役所に就職したほうが確実です。

 一流企業や役所に就職するためには、いい大学を出たほうが有利です。いい大学に入るためには、受験に勝ち抜かなければなりません。

 また、大阪万博や東京オリンピックなどがあり、日本人も国際社会の一員として活躍したいというぼんやりとしてイメージがあったのかもしれません。

 行き場を失っていた英語は、いい大学に入るための主要5科目の一翼を担うことで、受験システムに組み込まれたのではないでしょうか?

 もともと大学には官僚の養成機関の側面があり、立身出世の登竜門でもあったので、自然の流れだったように思います。

 そうして、英語でいい点を取ることが将来の幸せの必要条件になっていったのです

 私が生徒の素朴な疑問に答えられなかったのは、日本という国に英語を学ぶ明確な動機がなかったからだったのです
posted by 佐藤 at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年08月28日

道具としての英語

 英語は学校で主要5科目の1つになっています。大学入試では文系の科目にも理系の科目にも使われています。

 ただ英語はほかの科目とは趣を異にしています。どこが異なるかというと、あくまでも道具だということです。

 物理や化学、生物、社会学、数学などは学問で、未知のものに果敢に挑んでいくイメージがあります。私たちは日本人ですから、日本語を使ってそういう学問を勉強していきます。

 ところが英語はそういった学問・知識を英語で再認識し、それに関する意見を述べる道具なのです

 また、学問でなくても、普段ほかの人と日本語で行っているコミュニケーションを外国人とするときの道具なのです

 英単語や英文法、発音やスペルを覚えて、道具をうまく使いこなし、いろいろな事柄を再認識したり、その道具を使って外国人と意思疎通をはかっていきます。
posted by 佐藤 at 22:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

準拠版ドリルの執筆者

 これから私の仕事を通して、みなさんがどういう英語を学んだのか見ていきたいと思います。

 義務教育として、誰もが中学で英語の教科書を使っています。その教科書の内容に沿って作成されている「教科書準拠版ドリル」というものを覚えているでしょうか。

 みなさんも中学生の頃、授業の予習復習やテスト前の一夜漬けなどに使用したことがあるでしょう。

 中間・期末試験の問題に類似した問題が出てラッキーと思ったり、あるいはまったく的がはずれて憤慨したり、悲喜こもごもあったのではと想像します。

 ところで、この準拠版ドリルには出版社名は書かれていても、著者名は書かれていません。表紙にはもちろん、ドリルの奥付にも、発行元などの名前は見つけても、著者名は見当たりません。

 じつはこういった執筆は、著者名を全面に出している一般向けの英会話本や文法書とは違い、編集プロダクションの社員やライターが執筆していることが多いのです。

 教科書は4年に1度改訂されるため、準拠版ドリルもそれにあわせてリニューアルします。

 この時期になると私も忙しくなるのですが、この準拠版ドリルの執筆にはじつは過酷ともいえるさまざまな制約が存在します。

 これが手かせ足かせになって必要以上に執筆者を苦しめます。

 そしてこの制約が準拠版ドリルを使う人たちに、無自覚のうちにある幻想を抱かせてしまったと思っています。それをこれから見ていきましょう。
posted by 佐藤 at 22:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手かせ足かせの準拠版ドリル

 まず、準拠版ドリルで文法の問題や読解用の英文を作るときに「それまでに習った(教科書に出てきた)単語や熟語、文法以外は、けっして使ってはならない」という制約がありま。

 たしかに習っていない単語や文法を使った問題を出されても、とくに英語を習い始めたばかりの1年生では理解できないでしょう。

 当然といえば当然の制約なのですが、執筆者の立場からすると、この制限があるためにたいへんな産みの苦しみを味わいます。

 ちなみに教科書は、たいてい8〜10の Unit (教科書によっては Lesson とも言います)から構成されています。さらにこの Unit が、例えば Unit 7-1、7-2、7-3 という具合に3つくらいのパートに分かれています。

 そしてこの単位で文法事項を習います。Unit 7-1 では助動詞の can、7-2 では接続詞の if、7-3 ではhave to といった具合です。

 準拠版ドリルは教科書の進行どおりに問題を作り、見開き2ページで1つの文法事項の説明と、その理解を確認する問題から構成されていることがほとんどです。

 たしかに「教科書準拠」と銘打っているからには、それまでに習っている文法事項しか使えないのは当然だと思います。

 単語や熟語も、既出のものだけを使って問題を作成するのがベストでしょう。学校の中間期末テストでは試験範囲があり、テスト前には試験範囲に相当する準拠版ドリルをやっておけば安心ということになります。

 現実には、塾などに通っている子ならば、学校の授業よりもどんどん先に進んでしまい、すでに知っていることが多いでしょう。

 あるいは「ゲーム」(game)や「ベースボール」(baseball)など、すでに日本語として一般的になっているような単語も数多く存在します。

 それでも、未習の単語や熟語、文法を入れ込んで問題を作ってはいけないのです。これが大きな枷となって、執筆者の自由を奪います。
posted by 佐藤 at 22:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

メイキング オブ 準拠版ドリル問題

 ここで 『Enjoy English』 という架空の教科書の準拠版ドリルの問題を作ってみようと思います。

 中学2年生向けで、範囲はUnit 2-2。教科書のページで言うと20−21ページです。

 初めて過去の不規則動詞を学ぶときに登場する単語として、go(行く)の過去形wentやtake(取る)の過去形 took があります。

 そのふたつをきちんと把握できているかどうか確認する目的で、次のような問題を作成しました。


( )内の動詞を正しい形に変えなさい。

(1) I ( go ) to the stadium two days ago.

(2) I ( take ) a bus to the zoo yesterday.


 一見、簡単そうな単語ばかりを使っているので、このまま問題としてもよさそうに見えるのですが、これがどうして、そう簡単に行かないのが準拠版の難しさなのです。
posted by 佐藤 at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【1】既出単語と未出単語の確認

 この問題は中2の教科書20〜21ページの確認問題なので、中1の教科書と、中2の教科書の21ページまでに扱われている単語や熟語、文法項目を使わないといけません。これは大前提です。

 そこで、この問題で使う単語や熟語が21ページよりも前に扱われているか1つ1つ巻末の単語一覧表と照らし合わせ確認します。これが大変な作業になります。

 前述の問題


 (1) I ( go ) to the stadium two days ago.


の場合、調べてみるとagoは22ページに初めて出てくる単語だとわかりました。

 わずか1ページ後ですが、これで five minutes ago 「5 分前」や ten minutes ago 「10 分前」など、直前の過去の出来事のことは問題の英文として使えないことになります。

 過去を表す単語で使える次の候補は last です。幸いなことに、『Enjoy English』では1年生で規則動詞の過去を扱っており、そこで使われていたことがわかりました。

 last が使えれば last night や last week、last Sunday などが使える可能性があります。曜日はだいたい1年生で Sunday から Saturday まで習うことが多く、一応確認して OK になりました。

 最後に stadium です。stadium を教科書の巻末にある単語一覧表で調べると、1年の教科書の Unit6 で友だちと野球場に行く話があって、そこで stadium がすでに出ているのがわかりました。

 結局、two days ago の代わりに last Sunday を使い、


 I ( go ) to the stadium last Sunday.


 という問題文が完成しました。

 一見ごく簡単な英文なのですが、その何ということのない英文1つ作るにも、完全準拠版となるとこのような面倒な確認作業が必要になるのです。

 仕事に取りかかったばかりの頃は、どの単語が何年生の教科書の何ページに載っているのかまったくわからないので、上のように単語を1つ1つ巻末の単語一覧表で照合しました。

 でも慣れとは恐ろしいもので、何度か照合しているうちに、例えばworkは1年の教科書の半ばに載っているとか、break は一覧表に載っていなかったとか、何となくどこに何があるのか把握していき、どんどん効率が上がってきます。

 穴埋めや書き換え問題などで解答させる部分は、そのページで習う新出単語や熟語を使うことが多いので、それが未出の単語であることは少ないのですが、要注意なのは解答以外の部分で何気なく使う単語です。

 学生の立場では、テスト範囲の勉強だけでき、無駄なことは覚えなくて済むので準拠版ドリルはありがたいものだったのですが、執筆者の立場になるとこれほど厄介なものはありません。
posted by 佐藤 at 22:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【2】使える take と使えない take

 じつは完全準拠版の場合、その単語がそれまでに出てきていれば使えるかというと、そうとも限らないケースがあります。

 単語によって、1つの英単語でも複数の意味を持つものがある、ということを覚えているでしょうか。

 やっかいなことに、それが特に顕著なのが go や make、have、take などの、“基本動詞”と呼ばれるものに多いのです。

 その典型的な例が、この問題(2)です。


 (2) He ( take ) a bus to the zoo yesterday.


 この20〜21ページでは take の過去形である took が取り上げられていたので、それを問う問題を作成しました。

 ところがもしやと思い巻末の単語一覧表でチェックすると、take a picture や take a bath、またtake +人+ to …「〜を…に連れて行く」という意味の take はすでに習っていたのですが、「〜(乗り物)に乗る」という意味はまだ未習であることが判明しました。

 同じ take なので、意味は違っていても take a bus はそのまま残したいところですが、たとえそれが日本語の意味の違いでも、習っていなければ使ってはいけない制約があるのです。


 He ( take ) Mika to the zoo yesterday.


 と、「〜を…に連れて行く」という意味の take を使って問題文を作り直します。

 さらに手を緩めることなく、zoo と yesterday はすでに習っているか照合します。

 park や station も頭に浮かびましたが、私の印象ではこれらはドリルでよく使われる単語で、例文がワンパターン化してしまいます。

 結局、zoo は未習であることが判明して没にし、library を1年で習っていたので、2年の準拠版ドリルでもう一度使い、1年生の復習もしてもらおうと考えました。

 yesterday は20ページに載っているのでそのまま使って、


 He ( take ) Mika to the library yesterday.


 にしました。

 このように、いずれも本当に簡単な文なのですが、気が遠くなるほど手間がかかり、執筆者の頭を悩ませるのです。

 中学の英語の教科書では、膨大な量の英語のほんの一部が中1用,中2用、中3用に分けられています。裏を返せばそれ以外の英語(ほとんどの英語)は切り捨てられています

 その厳選された英語をもとに準拠版ドリルを作ります。例えば20〜21ページを作るときには、その中2までの英語をさらに絞り込んで作ります。その手かせ足かせの状態で英文を絞り出していきます。
posted by 佐藤 at 22:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

英語と日本語が1対1で対応しているという錯覚

 1年生の問題を作る場合、単語レベルではなく文章レベルで、不自然に丁寧な日本語にすることがあります。主語を必ず入れるというのもその1つです。

 たとえば、

 Koji: What do you have?

 Nancy: I have a ball.



という会話文に日本語の訳をつけると、1年生の教材の場合は

 浩二:あなたは何を持っていますか。

 ナンシー:私はボールを持っています。


 という、日本語だけ見ると中学1年生同士の会話とは思えないような堅苦しい訳になります。

 これはなぜかというと、1年生レベルのドリルの場合、1つ1つの英単語に対し、必ず日本語をあてがうことを求められているからです。英語と日本語は1対1で対応しているという幻想を維持します。

 ところが、これが中2や中3の準拠版ドリルの会話となると、

 浩二:何を持ってるの。

 ナンシー:ボールを持ってるの。

 と、「あなた」や「私」という主語を取ってしまい、語尾も口語調にして、日本語を優先に考えて書き換えられるようになります。

 日本語は主語をはっきり言わないことが多いのですが、英語は命令文などを除いて、基本的に主語は必要です。

 ですから、中学1年生の準拠版ドリルでは英語を1語1語訳すことを心がけ、英語優先の訳にしますが、2年や3年の準拠版ドリルでは、なるべく自然な日本語になるように主語はあえて書かないことが多いのです。

 わかりやすいように1つ1つの英単語に日本語の訳を付けていますが、元来英語と日本語は別の言語で、1 対 1 で対応していることはありません。意図的にそうなるように書いています
posted by 佐藤 at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

giveは「あげる」のか「もらう」のか

 もう1つ、日本語訳するときに困ってしまう単語にgiveがあります。

 次の会話文を例にとりましょう。


 Maki: That’s a nice sweater.

 Nancy: My father gave it to me as a present.

 真紀:それはすてきなセーターですね。

 ナンシー:お父さんがそれを私にプレゼントしてくれました。


 giveの意味を単語一覧表で調べると、どの教科書もだいたい「〜を与える」と出ています。

 前述したとおり、基本的に準拠版ドリルでは教科書の巻末に出ている意味を使って日本語訳を書くので、その原則に従うと「私のお父さんがそれを私にプレゼントとして与えてくれました」となります。

 ただ、日常では「与える」って言葉は、あまり使わないのではないでしょうか。

 ちょっと辞書で調べてみたら、「現在ではやや改まった言い方で、おもに目上の人が目下の人に、恩恵的な意味で授けるというときに使われる」とあります(yahooオンライン辞書『大辞泉』より)。

 そういう点では、この英文の場合は「与える」でも確かに日本語的にはおかしくはありません。

 ここはやはりナチュラルに「それを私にプレゼントしてくれた」と訳したいところです。「与える」を「くれる」に書き換えることは許容してもらうしかない例外です。
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訳し方が悩ましいwantとlike

 日本語の品詞と英語の品詞が食い違う場合も悩みます。くどいようですが中学準拠版の場合、基本的に英単語の日本語訳も教科書巻末の単語一覧表に載っている訳に合わせます。

 たとえ単語一覧表に載っている意味をそのまま使うと不自然になってしまう場合でも、自然な日本語になるように意訳したり省略したりすることをなるべく避ける傾向にあります。

 そしてその制約が原因で、出てくるたびに頭を悩ませるのが、likeとwantです。

 wantは巻末単語一覧表では「欲しい」、likeは「好む、気に入る」のほかに「好きだ」という訳をつけられています。

 ここで思い出していただきたいのが、日本語では、動詞は原形の場合「う段」の音で終わることです。

 「走る」「書く」「読む」などがそうです。一方、「美しい」「新しい」などの形容詞は「いの段」で終わり、「静かだ」「きれいだ」などは「だ」で終わります。

 なので、日本語的にいえば like 「好きだ」は形容動詞で want 「欲しい」は形容詞になるのですが、英語ではいずれも動詞です。

 本来なら動詞なので「う段」で終わるように訳すべきなのでしょうが、そうすると巻末の日本語訳と食い違ったり、日本語訳が不自然になったりと、いろいろな点で不都合が生じてきます。

 たとえば、以下の英文を訳す場合ですね。

 (1) I like soccer.

 (2) I want a bike.

 ここで、日本語訳を英語の品詞に合わせ、「う段」で終わるようにすると、(1)は「私はサッカーを好みます」、(2)は「私は自転車を欲します」となりますが、これではあまりにも日本語として不自然です。

 ですからこの場合は若干のひっかかりを感じつつも、素直に単語一覧表の意味に従い、「私はサッカーが好きです」「私は自転車がほしいです」とします。

 たいていの参考書や問題集もこのように訳していることが多いのではないかと思います。
posted by 佐藤 at 07:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

be動詞=「です」

 たとえ日本語訳が形容詞的だろうが形容動詞的だろうが、巻末の単語一覧表どおりにlikeとwantは「好きだ」「欲しい」と訳すものだと割り切ってしまえば何の問題もありません。

 ところがこの訳が、思わぬところで混乱を招くことがあります。これには、be動詞が大きく関わってくるのです。

 be 動詞とは is や am、are のことで、「〜です」という意味だと学校では説明しています。どの教科書でも、たいてい1年の1学期に習います。

 I am a teacher.「私は先生です」

 This is my book.「これは私の本です」



 中学1年生だとまだ英語の習いたてですから、日本語が「〜です」となっていれば、is、am、are にすればいいのだと単純に思い込んでしまうことが少なくありません。

 するとどうなるかというと、たとえば

 (1) 私はバスケットが好きです。

 (2) 彼女は自転車がほしいですか。

 という日本語を英語に直しなさい、という問題が出たときに、教科書巻末の単語一覧では like は「好きだ」、want は「ほしい」という意味になっているので、

 「好きです」 → be 動詞+ like、

 「ほしいです」 → be 動詞+ want

 と考えて、

 (1) I am like a basketball.

 (2) Is she want a bike?

 と回答してしまう子が出てくるのです。

 それを避けるためにも、「〜を好みます」と訳したほうがいいのではないかと思うこともしばしばです。


 くどくなりますが、なぜこのような問題が生じるかというと、英語を日本語で理解しようとするからです

 そのために英単語を覚えるときに日本語訳をワンセットにして覚え、私たちは英単語と日本語訳が1対1で対応していると思いこんでしまうのです

 だから「私は野球が好きです」という日本語を英語にするときに「〜です」=「is、are」に対応させてしまい、I am like a baseball.という間違いをおかすことにもつながります。

 日本語と英語はかならずしも1対1で正確に対応しているわけではありません。別々の言語の単語の意味が完全にすべて一致することはありえないのです。

 ですから、このようにつじつまの合わないものが多々出てくるのはしかたがないことなのですが、like や want が出てくるたびに、もやっとした悩ましさを感じるのです。

 このつじつま合わせは文法でもあります。
posted by 佐藤 at 07:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

英作文ではあまり使いたくない単語

 私が英作文の問題を作成するとき、あまり使いたくない単語があります。それは live です。日本語ではふつう、「私は東京に住んでいます」のように言います。

 この「住んでいる」という日本語が問題になります。巻末単語一覧表には「住む」とありますが、「私は東京に住みます」とは言いません。

 ところが「私は東京に住んでいます」というと、I am living in Tokyo.と進行形の文を作ってしまう子が出てくるのです。

 「進行形」を覚えているでしょうか。<be動詞+動詞の-ing形>の形で、「今〜しています」と動作が進行していることを表す表現ですね。

 「東京に住んでいます」は、「今、コンピュータを使っています」のような、現在の動作の進行を表しているわけではありません。

 日本語は「〜している」が必ずしも動作の進行の時にだけ使われないので、ズレが生じてしまいます。am living と進行形にすると、例えば地震などの災難に遭って、ある場所に「一時的に住んでいます」というニュアンスになります。

 この英語と日本語のズレは、些細なようでいて英語初心者にはけっこう大きなひっかかりポイントだったりします。

 このような混乱を避けるため、「私は東京に住みます」としたいところですが、そうすると日本語がとても不自然になってしまいます。

 子どもたちにわかりやすく理解してもらうためにいろいろ工夫していることが、まったく異なる2つの言語をあたかも一致しているかのような幻想を抱かせることになっているのではないかと心配しています
posted by 佐藤 at 07:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

英文和訳にも和文英訳にも向かない現在完了

 英語にはさまざまな「時制」があって、なかには日本人には理解しづらいものも多々あります。その典型的なものが、おもに中学3年生で習う「現在完了時制」です。

 みなさんは覚えているでしょうか。学校では、現在完了には次の4つの意味があると教えています。

 ・「継続(〜しているところだ)」

 ・「経験(〜したことがある)」

 ・「完了(ちょうど〜したところだ)」

 ・「結果(〔…した結果〕〜になった」

 この中でも「完了」と「結果」は、日本語に表しづらい時制です。過去時制との違いを日本語で表すことがとても難しいのです。英作文の問題です。


 私は定期券をなくしました。


これを英語に直すと、過去形のI lost my train pass.と、結果を表す現在完了のI have lost my train pass. の2つの答えが考えられます。

 過去形の場合、過去のある時に定期券を「なくした」という意味です。過去の出来事としてとらえているので、今は見つかって手元にあるかもしれないし、まだ見つかっていないかもしれません。

 それに対して結果を表す現在完了の場合は、「過去のある時に定期券をなくしてしまって、その結果として今、持っていない」と、「今」のことにも言及しています。

 こうすると、過去形で言われていても、今も手元に定期券がなくて探していることがわかります。

 日本語では、現在完了の「結果」を端的に表す言葉を持ち合わせていません。したがって上の日本文を英語に訳す問題を作成すると、have lostとlostの2つ答えが出てしまいます。
posted by 佐藤 at 07:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

準拠版ドリルの和文英訳問題は自宅学習用

 基本的に、準拠版ドリル用や市販されている問題集の英作文の問題は、答えが1つになるように意図して作ります。

 これを使う生徒が一人で自宅学習することを想定しているので、2つも3つも答えが出て混乱してしまうのを避けるためです。

 ところが「私の定期券がない」という事実を英語で伝えるのなら、

 I lost [have lost] my train pass.

 と言っても、

 I don't know where I left my train pass.
 「定期券をどこに置き忘れたかわからない」

 と言っても、

 I can't find my train pass.
 「定期券が見つかりません」

 と言っても相手に伝わります。

 日本語と同様に、ひとつの出来事を伝えるにも、その表現はさまざまです。

 あらゆる表現を考慮して、あらかじめ解答を複数作成するのはできないことはないかもしれませんが、かなり困難です。

 準拠版の場合は範囲が限られていることもあり、自宅学習用という教材の都合もありで、「私は昨日彼女を動物園に連れて行きました。」のように日本語を英語に訳してもらい、その日本語もなるべく答え(I took her to the zoo yesterday.)が1つになるように意図して作ります。

 ところがそれに慣れてしまった結果、学習者の中には英語の答えは1つだけだと思い込む人もでてきます。それはあたかも2×3=6という算数の計算のようです。

 準拠版ドリルの英作文問題では、学校のカリキュラムにしたがって、習得するべき時期に、正しく文法を習得しているかを問います。

 しかも自宅学習を念頭においているので、答えが1つになるように作ります

 ただ、本当は日本語にとらわれず、もっと柔軟に考えて、いろいろな表現を使っていいと思います。

 理想で言えば、日本語もわかるアメリカ人の先生がいて、マンツーマンで教えてもらえるなら、その場でいろいろ訂正してもらい、いろいろな英語の表現を教えてもらえて、自分のわからないところをピンポイントに勉強できるので一番効率的だと思います。



 現在完了は英文和訳や和文英訳には向かないと言いましたが、そうは言っても問題は作らなければなりません。

 そこで苦肉の策として、答えがひとつになるような空欄補充問題や語順整序問題などにします。たとえば、こんな感じです。

 I ( and / lost / with / have / my passport / my bag ) tickets.

 (答え:I have lost my bag with my passport and tickets.)

 このように、I have lost my bag.と中心になる文章に、with my passport and ticketsをつけて少し長めの文にして、語順整序問題とするのです。

 こうすることで、現在完了の文で答えが1つになり、have+過去分詞の語順で使えるか、with my passport and ticketsを使って後置修飾の文が作れるかなど、いろいろな観点を含む問題が完成します。
posted by 佐藤 at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

英作文の問題が少ない理由

 学校や塾、ドリルなどで、英作文の問題が少ないのは、やはり意図した英語と違う英語を答えられたときに判断できないからというのが大きな原因だと思います。

 また、その危険を回避するためにドリルなどでは、答えがひとつになるように問題を作ります。

 英作文の問題として日本語を英語に訳していると、いかにも英語を作っているようで、レベルの高いことをしているように思いますが、一語一語の日本語を英語に変換し、文法のルールに従って英語にしていきます

 例えば、英語を母国語としている人が英語を書くとき、ある言語を介して英語にすることはありません。やはり私たちは半分日本語で半分英語の人造人間キカイダーのような英語を身につけているのです。

 英作文の問題をすることで、英語を書くとは日本語から英語に訳すことだと思い込まされてしまったのではないでしょうか?

 これはリーディングの時に英語から日本語に変換するときとちょうど逆のプロセスで、母国語である日本語を介しているという点では同じことになります。

 この英語から日本語、日本語から英語の回路を頭の中につくることが結局、英会話の習得を遅らせているのではないでしょうか? 
posted by 佐藤 at 06:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

1つの英文を会話で使えるようにするとは?

 先ほど取り上げた、He ( take ) Mika to the zoo yesterday.は、takeをtookにすれば正解だと言われ、丸をもらいます。

 もし英会話を身につけようと思うなら、英文を見ないで言えるようにすることが必要です。会話するとき目の前に英文がぶら下がっていて、それを読むわけではないからです。

 カラオケで歌詞を見ながら歌うと、その歌詞をなかなか覚えないのと同じで、「見ないで言う」ことが必要になります。さらにこの文の疑問文と肯定文も言えるようにしたいものです。

 He didn’t take Mika to the zoo yesterday.

 Did he take Mika to the zoo yesterday?



 また、この文は過去時制でだけ使うわけではありませんから、時制を変えて、

 He sometimes takes Mika to the zoo.

 He will take Mika to the zoo tomorrow.

 He has already taken Mika to the zoo

 He is taking Mika to the zoo now.

 を見ないで言えるようにします。それプラス、それぞれの時制の疑問文と否定文も言えるようにします。



 さらに、人や場所などを変えます。

 I took Rie to the zoo yesterday.

 Rie took him to the shopping mall last week.

 They will take my son to the airport.

 これを実際の会話で状況に応じて使っていくことになります。



 私たちは、こういった会話に対応できるような訓練をしていません。yesterday が過去の出来事だから take を過去形の took にして終りです。

 あるいは一語一語日本語に変換して「昨日私はリエを動物園に連れて行きました」と頭の中で訳し、日本語で理解できたからOKにしています。

 長文読解ではこれで十分です。ただこのプロセスでは会話に役立つようなことは一切していませんでした。私たちが英会話を苦手とするのは、単純に学校でやっていないことが大きな原因の1つです
posted by 佐藤 at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

空洞化した英語

 中学の英語の教科書は学年ごと、学期ごとに学習する文法事項や単語が決まっています。日本のどこに住んでいても等しい教育を受け、また、等しい条件で能力を測るためです。

 今まで述べてきたように、英語の準拠版ドリルは教科書に沿って厳しく文法事項や単語に制限を設けて作成しているので、教科書の英語を覚えるのには最適です。

 中間・期末試験の前に、またはテスト範囲の英語を復習するのに、準拠版ドリルをやっておけば試験に出そうな箇所を効率よく勉強できます。

 ただ英語全般を俯瞰して見たとき、いわゆる中学レベルと言われる初歩レベル(あるいは beginners’ level、basic level)の英語は中学で学んだ教科書3冊分ほどしかありません

 これは英語全体で見たときに、あまりにも少なすぎます。塾や通信教育でさらに英語を勉強している子はもっと多いかもしれませんが、それでも英語全体から見たらごくわずかです。

 しかもその英語は、英単語の意味を日本語で覚え、読んだ先から日本語に変換し、変換した日本語で意味をとっています

 英語から日本語に変換して意味をとる回路で対応しているので、英語そのものがほとんど頭の中に残っていません。

 発音もローマ字読みしています。高校に行って大学受験用に難しい英文を読むための回路です。会話の部分はごそっと抜けています

 数年後の大学受験では環境問題や文化の話題などが取り上げられ、いきなり成人レベルの話題を読まされて読解の能力を競わされるので、日本語の助けを借りて読んで理解します

 4技能の英語を身につけることが完成品だとすると、中学の段階で基礎工事のガタガタな英語を身につけています。大学受験の長文読解用としては基礎がしっかりできていると言えるかもしれません。
posted by 佐藤 at 06:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

私の世代の英語は空洞化したまま?

 多くの人がこの基礎工事がガタガタの英語を土台にしてその上に立派な家(大学受験、TOEIC、TOEFL、英検など)を建てようとしています。

 私たちの世代の人たちは、大人になっても抜けている初級レベルの英語を埋め合わせていないので、完全に英語が空洞化しているのです。

 私たちは学校の英語教育を通ってきているので、能力アップ、実力アップ、学力アップ、得点アップ、偏差値アップ、ついでに自信もアップと上へ上へと縦のイメージで勉強をしています

 ところが語学は本来横の広がりとして捉え、簡単な英語をたくさん聞いたり話したり、読んだり書いたほうがいいのではないでしょうか? 

 そして英語そのものを蓄積させていき、その蓄積させた英語を使って話したり書いたりするのです

 特に会話は、図書館で本を借りることや空港でチケットを買うこと、道案内をすることなど、優劣をつける必要などありません。

 いわゆる中学レベルの英語(自分で簡単だと思えるような英語)をたくさんこなしていくのがいいと思います。

 この際、大切なことは日本語にしないということです。英語を日本語に変換しないで、英語そのものを頭の中に蓄積させ、その残っている英語を使って話したり書いたりします

 そして、ある程度英語を英語のまま理解することができるようになってから、少し自分にとって難しいと思える英字新聞や、小説、CNNのニュース番組などを読んだり聞いたりしてはどうでしょうか?

 齢40も過ぎて思うことは、英語も含め外国語を学ぶとき、覚える単語の量が膨大だということです。

 そして、1つの文は、その単語の組み合わせからできていて、さらにその英文の組み合わせが、物語になり、新聞記事になり、会話になり、映画のセリフになります。まさに無限大×無限大です。

 私たちの多くは大学受験を目標に英語を勉強してきました。つまり最終目標が長文読解だと言うことです。大学受験など眼中にない人も学歴社会の大きな流れの中で英語を勉強してきました。

 外人と英語を使ってコミュニケーションをとるなど全くと言っていいほど考えていなかったのではないでしょうか?

 もし今、身につけたい技能が会話(リスニングとスピーキング)なら、まず空洞化しているいわゆる中学レベルの英語を埋めてはどうでしょうか

 ガタガタの基礎工事をしっかりしたコンクリートの土台にするのです。
posted by 佐藤 at 06:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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